最新情報

レポート・コラム
わたしにとっての“福祉”的な本 〜上田洋平さんの場合〜

  • 上田 洋平滋賀県立大学 全学共通教育推進機構 / 地域共生センター 助教(人と地域研究室)
わたしにとっての“福祉”的な本 〜上田洋平さんの場合〜

糸賀一雄さんの思想や活動から感じられる“福祉”の広がり。このコラムでは、本事業に関わる様々な立場の方々が、書籍の紹介を通じてこれからの福祉のあり方を語っていただきます。まず初回は、滋賀県立大学全学共通教育推進機構/地域共生センター 助教の上田洋平さんです。

驚きの介護民俗学(著:六車 由実)

例えば、六車由美著『驚きの介護民俗学』である。

読んだ時には、「わが意を得たり!」という気持ちになった。ちょっぴり「あっ、先を越された!」という思いもよぎったが、でも「やった!」という気持ちの方が大きかった。成功した民俗学者である著者が一転して高齢者介護の現場に「越境」して飛び込む。そこで民俗学の武器ともいえる「聞き書き」の手法を導入し、一人ひとりのかけがえのない、また思いがけない人生の物語に徹底して耳を傾けるなかで得た気付き、なにより「驚きの体験」を軸に、ケアとその現場の未来や「人間と人間との相互行為としてのケア」の在り方に新たな光を投げかけている。

読んでなぜ「やった」と膝を打ったのか。私自身が経験し感じたことを代弁してくれているからである。私自身は純粋な民俗学徒ではないが、研究上民俗学的な「聞き書き」の手法も援用して、地域のお年寄りたちの語りに耳を傾けてきた。そこで私が感じる類のことがピタッと述べられていた。

実は私の祖母も両親も高齢者介護施設で働いていたので私は小さいころからその手の現場にはなじみがあるのだが、子ども心にも疑問に思ったのが「どうしてこういう場所ではお年寄りたちが子どもあつかいされるのだろう」ということであった。学生になり研究者の端くれになり、この間たくさんのお年寄りのお話を聞き書きさせて頂くなかでその思いはますます強くなった。お年寄りと向き合ってその人生経験を伺っていると、ほんとうに驚くような経験を持ち、見識を持ち、わたしはそれをあえて「身識」と呼んでいるけれども、さまざまなワザや身体に根差した洗練された世界認識を秘めておられる。お年寄りのお話を聞かせて頂いたあとは「人間って素晴らしい」と思う。言葉を失うような悲惨な体験を聞くこともあり、思わずもらい泣きしたり、暗澹たる気持ちになる時もあるが、そうした経験を生き抜いていく人間というもの、人間の尊厳というものについて、深く腑に落ちる学びを得る。というわけで、六車氏も述べているが、私たちの目から見ると介護現場、福祉施設は「宝の山」だ。研究上の「宝」ということもあるが、それ以上に、人生というもの、人間というものを生で学べる場である。

ところが実際の現場では、職員が腰を据えてお年寄りの話に耳を傾けるということはなかなか行われていないようだ。現場の状況はそんなことやってられるような生易しいものではないのである。それを知ったうえでなお、そこではお年寄り一人ひとりの経験、人生の文脈が捨象されて、なんだか「子ども扱い」されているように見えて切なくなってしまう。現場で行われていることはどれも意義があり理に適ったことだと承知のつもりだが、それも偽らざる感想なのである。それでつい「もったいない」などと思ってしまう。

これが単にアカデミックな視点からこんな主張をするとしたら、「ひっこんでろ」と言われてもしかたないが、一人ひとりの人生の文脈を紐解きそれに寄り添うことは、日々のケアの現場、例えば認知症の方の一見不可解な行動の意味を理解する上でも大きな効果があるという事例はいくつもある。そのような、ケアする上での実効性も重要だが、お年寄りたちの人生に触れ、驚き、敬意を抱くとき、そうした一瞬を経て、ケアの意味もその関係もそれまでとは違ったものになる。そのことの意味はとても大きいと思う。

でもやっぱり、そうは言っても、なのかな。でもだからこそ「越境」が必要なのではないか。私らみたいな者やこれから人生と取っ組み合わねばならない学生たちがそうした現場に飛び込む機会が増えていけば何か素敵なことが始まる気がする。「わけて」「あつめて」「しばる」から、「まぜて」「ちらして」「つなぐ」へと社会の原理は軸足を変えつつあるというのが私の見立て。その見立ても裏付けてくれるだけでなく、すでに実現している先達の一書である。

Copyright 2013 © 糸賀一雄生誕100年記念事業実行委員会 All Rights Reserved.
画像提供:(株)医学書院