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鈴木謙介『“かかわり”あう社会へ 若者 アート これからの福祉』(2/3)

  • 鈴木 謙介社会学者・関西学院大学社会学部准教授
鈴木謙介『“かかわり”あう社会へ 若者 アート これからの福祉』(2/3)

社会学者の鈴木さんは、自身の研究活動と平行して、NHKEテレ「青春リアル」やTBSラジオ「文化系トークラジオ Life」などの司会を務め、いま「生きづらさ」を感じる20代~30代前半の若者たちの意見を聞き取り、彼らの生き方に新しい意味や希望を見いだす、オピニオンリーダーとしても活動されています。障害のある方や高齢者のための「福祉」だけでなく、いまの若い世代にも響く広い意味でのこれからの福祉とは何か、また福祉の現場やまちづくりの現場で昨今注目されるアートの可能性についてなど。改めて糸賀一雄さんの思想もふりかえりながら、語っていただきます。

社会制度と福祉

アサダワタル

前回に引き続きよろしくお願いします。大きな「福祉」というテーマ、あるいは「制度」といったお話もしてゆきたいと思いますが、例えば「福祉」という話をぱっと聞いた時に大体「老人ホームとかそう言う話?」みたいなこと、あるいは「障がいがある方の話ですか?」とか、色んな福祉の話があると思うんですけれども福祉やケアといった事が、直接自分がはっきりとした病気を持っているとか障がいがあるとか、何か問題を抱えているというような事と、一方でもやもやした悩みがあったり。でもこの悩みってわざわざ言う事じゃないから、自分で当たり前のように解決しないとダメなんだろうなとかを考えている間に一方で大きな大きな自分とは遠いとこりにありそうな「制度」の話もあったりして。若い人たちがその制度にどういう風な形でアクセスしたりとか、場合によっては制度じゃない形で地域の人に助けてもらったりとか色んな「関わり合い」や「ケア」のバリエーションがあると思うんですね。その辺の話から始められたらと思います。

鈴木謙介

福祉の制度の話が大きいなと思うのは、大事なものなんですけれども、この制度にアクセスするかしないか、例えば障害者手帳を持っているかいないかで僕らは障がいの有無を判断しますよね。ところが実際障がいを持っている方と話をしてみるとすぐわかりますけども、障がいってすごいグラデーションな訳です。例えば耳の聞こえが悪いというのも、全く聞こえないという方から雑音が乗ってこの行の音だけが聞きとりにくいというレベルとか色々あるわけです。ところがそのグラデーションというものが、制度があると、制度の中の範疇に入っている人は障がい者、そうでなければ健常者というゼロイチになってしまう。制度は大事だけどもそれはあくまでグラデーションを制度で見て行く時にどこかで線を引かなければいけなかっただけなはず。この発想ってすごく大事だと思いますけれども、じゃあグラデーションの所でどうやって人と関わっていくかというときに僕らはどうしても気持ちの上でもゼロイチで、「健常者だから頼っちゃいけない」とか「障がい者だから仕方がない」とかという風な見方をしてしまうんですね。それが制度と障がいだったり誰かの手助けを必要とする状況というものの、微妙な線の所を僕らが受け止めきれない一番大きな原因かなと思うんですよね。

アサダワタル

それはすごく思います。要は制度というものとして成立する話と、制度として眼鏡をかけた状態であらゆるものを「制度的に」見るという事は全く別の話なんじゃないかと思う訳ですよね。福祉の現場に色々と関わらせて頂いているんですけれども、現場で起きているコミュニケーションというのは制度的な目でそれこそ手帳を持っているか持っていないかだけで見ても汲み取れないコミュニケーションが当然あるわけですよね。それは当たり前の話なんですけれども、人と人とのコミュニケーションなので。そういう風な事をつぶさに見ていくという事と、前回から話をしている若い人を中心にした、自分の生活に対する気づきみたいな見方を変えていくという事が、どういう風に具体的に繋がってくるのかなと。

鈴木謙介

例えば子育て。僕も今子育てしていますけれども、子どもを2人抱えて歩いているという状態は物凄くハンディキャップを持って町中を歩いているわけですよね。

アサダワタル

明らかですよね。雑技団みたいに自転車のっている人もいますよね 笑。

鈴木謙介

2人で20キロとか30キロとかあるので、子どもがちょっと暴れて自転車が傾いたら、倒れかねないような状態なわけですよね。危ないから何とかしようということの前に、子育てしてるだけでもそういう人の手助けを必要とする状況が生まれてしまう。今までの日本社会というのはまさに普通という道がど真ん中に大きくあって、その中で自分の家族だけで何でもできるのが当たり前だと思われていたんですね。ところがこの普通の道というのがどんどん狭くなっている中で、本当だったら今までは普通の道なんだけど気がついたら足下が草ボーボーになっていて、足取られたらすぐこけちゃいそうな、そういう中で生活している方がすごく多い。そこを制度で福祉の対象になるならないゼロイチで決めてしまうと、草ボーボーの中を歩いているのに自分一人で何とかしないといけないという人がものすごく増えてくることになると思うんです。そういう人達に対して個人的な手助けの部分で何かできることはないかと考えてみる。それこそおせっかいかもしれないけど何か手助けをしてあげるとかね。子どもを持ってわかるんですけど、おばちゃん結構話しかけてくるんですよ。飴ちゃんくれるんですよ大体 笑。でも意外とそういうおばちゃん力って大事だなぁと思うのは、何か手助けをしなけりゃいけないというのは自分が経験あるので気づくんですよね。だから常に飴ちゃんを忍ばせていて、泣いている時に「飴ちゃんあげよっか?」ていうコミュニケーションできちゃうこの「できちゃう」という力がすごく大事。「SQ」って本で表現しているんですけど独身男性に一番ないものだったりするんですよね。

SQ〜関わりの知能指数〜

アサダワタル

それこそ今SQという言葉で、「SQ〜“かかわり”の知能指数〜」という言葉を鈴木さんは以前からおっしゃっているんですけども。SQを上げていくレッスンみたいな、おばちゃんなんかだと子育ての経験なんかもあるのでSQリテラシーが高い訳ですよね。「気づいちゃう」訳ですよね。気づくけども気づけない環境の中で育っていく中でもこういう風に自由に語ることでどんどん自分が経験出来ていないことも、世の中はこんな事があるんだとか、そういう未知なことにちゃんと気づいていける力みたいな。

鈴木謙介

僕たちの社会は、一番速く走れる人だけを集めて最適化した組織とかを作っているので、ちょっと歩みの遅い人がいるとすぐお荷物になるように出来ているんですね。ところが、そんだけ速く走れる人がいっぱいいる時にはよかったんですけど、社会全体というのも高齢化してくる、子育ての環境というのもかなり昔とは違ってかなり負荷が高くなっている。あるいはハンディーを持っている方の支援をするような仕組みというのが例えばNPOにおいてでもお金がないだとかいう課題・現状がはっきりと目の前にある。こういう時に最適化された、足の速い人だけで作った仕組みというのは意外ともたない。つまり世の中で見ればむしろその人達がマイノリティなのでうまく走る事ができないというのが一つ。もう一つは、こっちの方が大事なんですけども昔の速く走れる人だけで作った組織というのは、世の中のルールが「駆けっこ」だった時のルールなんですね。ところが気がついたら足の速くない人達がいっぱいいる世の中になっている時に、むしろビジネスをする時だってなんにしたってその人達の基準に合わせて物を考えていかないといけない。あるいは普通の言葉で言えば、女性の視点を取り入れるとかが当たり前になっている時に「すぐ出産でやめる女なんか入れて仕事とかしてられないよなー」とか言っている組織は則潰れるわけです。だからそういう事一つとっても世の中のルールが変わっているのであれば、その変わったルールに合わせられるような視点を持っていなければ、もうやっていけない。だったらそういう風に自分を開いていってそして「真ん中の道を通ってないから恥ずかしいんだ」ではなくて、「ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、なんか喋ってみようよ」という所から開かれていく。その開かれていったことによって、初めてこれが当たり前なんだと気づく。そういう社会を作っていくっていうのは福祉行政をどうするかとか、財源をどうするかとか、いわゆる政治経済の話とは別に、僕らの生活のレベルにおいてすごく大事なんですよね。

アサダワタル

それこそ「開かれていく」という時に何が「当たり前」かというもの自体も相対化していくというか、これだけ「社会には色んな物差しがあるよね」という事は言われ続けてはいてもなかなか自分の居心地のいい当たり前から離れることはできない。全然違う当たり前を持って来た人がいたらちょっと排他的になってしまったりとかもあると思うんです。例えば仕事に置ける専門性とか。そのコミュニティだから成立する常識とか、話が通ずることとか。色んなテーマを扱ってらしゃっるので鈴木さんも色んな方とお会いする事があると思うんですけれども、そういう風に自分が開いていく中で色んな価値観みたいなものを「旅」していきながら、自分の中でコミュニケーションのバリエーション、あるいは当たり前の価値観みたいなものを多様にもった中で、何かこう次の自分のあり方を話していけるという状況ってどういう風に生んでいったらいいのかなと。

鈴木謙介

お勉強で始めちゃだめなんですよ。やっぱり。共通の話題が通じるというのは大事なんですね。「同じアニメが好きだ、でも俺とお前は外国人同士だ」とか、こういう話を共通でできるから開かなくても話が通じちゃうものがある。お互い子育てしているとかでもよくよく聞いてみると片や専業主婦、片や共働きみたいな。そういうところから自分と違うライフスタイルがあって、その中でこの人はこういう所で苦労していて私はこういう所で苦労していてと自覚出来るようになる。これってすごく大事なことだと思うし、まずは共通のところで繋がるというのは今の社会にどんどん増えていると思うんですよ。でもそこしか見ないとなってしまうとそのときは楽しいけれども本当の苦労の部分は誰も分かってくれないとか誰も手を差し伸べてくれないとなってしまう。「気がついたらあの人最近いなくなっちゃったね、最近忙しいらしくて」みたいな形で一人消え二人消えとなっていって10年ぐらい経つことがあるわけですよ。

アサダワタル

例えばまちづくりとか、地域コミュニティの再生みたいな現場でも、あるサークル活動をきっかけに人が集ってきてそこを入り口にしながらですね、実際はそれをやっている時間よりも後でお茶をするとかそのような時間がある意味本質というか「本当に語りたかったこと」に向かっていく。そういう身のあるコミュニティが色々出来ていく。そういう状況になれば良いなと。

鈴木謙介

あと長く続けることは大事で、やっぱりみんなどんどんライフステージが変わるわけです。例えば子どもが生まれるとか親が病気になるとかいうことで、今まで出来てたことができなくなる。本人が障がいを持つ訳じゃなくってもそれこそ介護の必要な人と一緒に暮らさなくてはいけなくなるという状況は普通にあり得るわけです。10年来の付き合いのある奴がいて、「いや最近ちょっと親がさ……」とかそういう話ができるかできないかは、これすごく大事な事だと思うんですけどね。

アサダワタル

次回の放送でさらにお話をしたいと思っているのは、当たり前のようにみんなが走っている、そんなトップランナーみたいな人が沢山集って社会が出来ているというそのルール自体が通用しなくなっている中で、今面白いなと思っているのが福祉の現場で、いわゆる現代美術のシーンとはまた違った視点で、医療や福祉の現場から面白い「作品的なるもの」を作る人たちがとても注目されているんですね。その中には障がいを持つ方がいたりするし、世間ではアールブリュットとかアウトサイダーアートとか色んな言い方がある領域が生まれているわけなんですけれども。そこで起きてる事というのは、美術のシーンで評価されて、あらゆる場所で展覧会が増えていってる。そんな中で場合に寄っては「作品を売る」といった福祉現場とマーケットの関わりの中で色んな議論が生まれたり。福祉と美術のはざまで色んな価値観がぐちゃぐちゃ交じりあう状態があったりするんですけれどもね。その辺の話を次回特に語って頂ければと思います。ありがとうございました。

鈴木謙介

ありがとうございました。

※1 SQ

鈴木謙介氏の著書『SQ〜“かかわり”の知能指数〜』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)参照。

鈴木謙介社会学者・関西学院大学社会学部准教授

1976年福岡県生まれ。東京都立大学(現・首都大学)大学院社会科学研究科博士課程にて、理論社会学を専攻。現在は、関西学院大学社会学部准教授。著者に『カーニヴァル化する社会』(講談社)、『SQ “かかわり”の知能指数』(ディスカバートゥエンティワン)また、2013年8月に新著『ウェブ社会のゆくえ』をNHK出版より刊行。TBSラジオ「文化系トークラジオ Life」パーソナリティ。

鈴木謙介
パーソナリティ アサダワタル

1979年大阪生まれ。日常編集家。公私の狭間、異分野間を漂泊しながら、既存の価値観を再編集する表現を、音楽、文章、プロジェクトを通じて創作・提案。2002 年、バンド 越後屋のドラマーとして、くるり主宰レーベル「NMR」より2枚のCDをリリース。その後、音楽を主体に各地でソロライブ、プロジェクト、ワークショップを展開しつつ、2013年、ドラムを担当するSjQ++にて、アルスエレクトロニカ準グランプリ受賞。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、編著)『編集進化論 editするのは誰か』(フィルムアート社、共著)等。『ソトコト』や『マガジン航』等で連載。神戸女学院非常勤講師。

アサダワタル

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