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私と糸賀一雄先生の出会い。生誕100年に向けて伝えたいこと

  • 三浦 了社会福祉法人 大木会 顧問

私は滋賀県の彦根市八坂町の浄土真宗のお寺に生まれました。ゆくゆくは僧職につくと思いつつ、大学卒業を間近に控えていたある日のこと。従兄弟から近江学園の存在を知らされ、就職を勧められました。不安と期待が入り交じる中で糸賀先生に会いに行き、三方書籍に囲まれた暗い園長室にて3時間。糸賀先生は、学園のことや子どものこと、職員の勤務条件など、肝心なことはほとんどお話されず、人生哲学ばかりの内容だったのですが、私は「世の中にはこんなに素晴らしい人物がいるのか」と心底感動したのです。就職を希望したところ、糸賀先生は「そうですか!あなたは私たちの“仲間”になってくれますか!」と。この「仲間」と言っていただいたことが、未だに忘れられないですね。

昭和30年に園に入り、重度の園長室にて障害がある子のクラス、年少の子のクラス、医療の支援が必要な子のクラスなどを担当しながら、様々な現場を経験しました。その後、近江学園の分身として設立されたあざみ寮への出向辞令が下ったんです。ご病気された副園長の代理応援にいくという内容だったのですが、大人の女性たちを相手の仕事に自信が持てずお断りしたところ、糸賀先生はこうお話されました。「自信がある仕事ばっかりしても結論が見えて面白くないじゃないか。どうなるかわからない、自信がない仕事をこそするという気持ちが大事なんだ」と。なんだか煙に巻かれたような気分でしたが、こうして昭和35年にあざみ寮に出向することになり、ゆくゆくは昭和38年に副園長に就任することになり、ここが私にとって一生をかけた現場となるわけです。

糸賀先生は、組織をつくるということに関して、非凡な才能をお持ちでした。子どもたちの動きは勿論のこと、職員ひとりひとりの動きも本当によく見てらっしゃった。自分の思想や願いを前に進めるために、職員をどのように説得して適材適所についてもらうか、その努力を惜しまなかった。私自身も糸賀先生に導かれ、様々な背景を持った子どもたちに寄り添う過程で、自分自身の価値観も変えられ、この福祉の現場に一層のめり込んでいったわけです。

最後に糸賀一雄生誕100年記念事業を開催するに際しての私の思いを述べます。「親の育ちは子の育ち。子の育ちは親の育ち。職員の育ちは子の育ち。子の育ちは職員の育ちである」。つまり、人が単独で育っていくのではなく、人と人との「関係」が育ち、そして人が育つのだと。糸賀先生は、子どもとの付き合いを通じて、親の育ちに力を入れてこられました。ですから、現代を生きる多くの方々にも、先生の生誕100年の機会を契機に、「関係の育ちから生まれる人の育ち」というメッセージを改めて伝えてゆきたいと思います。

三浦 了社会福祉法人 大木会 顧問

1928年、彦根市生まれ。大谷大学文学部仏教学科卒業、中学校及び高等学校教員免許取得。 1957年、研修生として近江学園に勤務後、翌年より大津市立南郷中学校兼近江学園児童指導員となる。約10年間、糸賀氏とともに近江学園、あざみ寮にて障害のある児童・成人への支援を実践する。その後、あざみ寮寮長、もみじ寮寮長兼務、社会 福祉法人大木会理事長を歴任。現職は大木会顧問。

三浦 了