最新情報

レポート・コラム
橘ジュン『“小さな声”に耳をすまし、社会に伝えること 〜難民化する家出少女たちと歩む日々〜』(1/3)

  • 橘ジュンNPO法人BONDプロジェクト代表理事
橘ジュン『“小さな声”に耳をすまし、社会に伝えること 〜難民化する家出少女たちと歩む日々〜』(1/3)

橘さんは、その昔、「レディース」と呼ばれる、いわゆる暴走族の一員でした。学校のどこにも、社会のどこにも居場所がなく、毎夜非行に明け暮れた彼女は、あるメディアでの取材での編集者との出会いをきっかけに、「文章を書くこと」に導かれます。彼女が言葉にしていくのは、家族に暴力をふるわれて家出したり、薬物に依存せざるをえなくなった少女などの「声」。行き場を失った少女たちの生の声はメディアで伝えられることはないが、その見た目の奥に純粋な心や考えを秘めていることを実感。フリーペーパーを立ち上げ、福祉や医療関係者と協力をし、NPOを設立し、渋谷に女性だけが安心して使えるインターネットカフェを立ち上げ、様々なあり方で「聴く 伝える つなげる」活動を続けています。この小さな声に耳をすまし、社会の変革の鍵を見いだす彼女の活動は、糸賀思想との繋がりを今の世代へと感じさせるものと言えるのではないでしょうか。

“伝える” 『ボイス』のこと

アサダワタル

まずは橘さんの方から現在の活動を、自己紹介を含めてお話し頂けたらと思いますのでよろしくお願いします。

橘ジュン

はい。私はNPO法人BONDプロジェクトという団体の代表をやっているんですけれども、あとは“君の声を伝える”ということをテーマにした『ボイス』というフリーペーパーも同時に出してるんですね。

 『VOICES(ボイス)』マガジン
アサダワタル

いま目の前にあります。ラジオでは見えないですけどウェブの方では写真を上げておきますんで 笑。

橘ジュン

ありがとうございます 笑。『ボイス』は2005年から作ってるんですけど、繁華街にいる女の子とか男の子とか気になる子がいたら声をかけてという取材をするという活動を続けてたんですね。元々私もこの活動のきっかけになったのが10代の頃、自分が取材を受けたことだったんです。自分の話を聞いてくれる大人との出会いがあり、「こうやって自分の話をただ聞いてくれる人がいるんだ!」ということを知って、私も彼女たちに説教するとかアドバイスをするとかだけじゃなくて、その子の話を聞いてそれで何かを感じていきたいなというのがずっとあったんですね。だからそれを19歳ぐらいから続けていて、その流れで2005年にこの『ボイス』というフリーペーパーを夫でありパートナーでもあるカメラマンのケンと作っているんですね。様々な少年少女たちと出会って、私たちにとってはとにかく知らない事ばっかりで、終電が終わってそれでも町にいる女の子とかがなんだか凄く気になって、「何でここにいるの?」ということをこの『ボイス』を持ちながら話しかけて、聞いてね。色んな理由で、色んな事情があって家に帰れないんだという事を子どもたちから教わって、それで話を聞いてそれを伝えていったんですけれども、ただ聞いて伝えるというだけではどうにもならないような、色んなエピソードを持ってる女の子達との出会いもあり、2009年にNPOを作った、そういう流れですね。

アサダワタル

現在は「聞いて伝える」というフリーペーパーも作りながら、町にいる少年少女と、特に女の子が多いと思うんですけれども、その子たちの相談もされるみたいな関係に変わっていっているんですか。

橘ジュン

今は「面談」という形で名前を変えて女の子の話を聞いてるんですけども、私はそもそも取材が原点じゃないですか。だから面談というよりも会いたい子に会いに行って聞きたい子の話を聞かせてもらって一緒に過ごしてるって感じなんですよ。だから色々地方なんかにも彼女たちに会いに出かけて行くんですけど。

アサダワタル

最初に、聞くきっかけとして何かエピソードはあるんですか。

橘ジュン

自分が出会ってた子っていうのは、私自身もそうだったんですけれどもアウトロー的な生き方をする女の子ばっかりだったんですよ。はみ出せる子っていうのかな。「こんなの嫌だ!」「窮屈だ!」と。だからここに自分で居場所を求めてこういうことしてる、ある意味“表現”できる女の子ばっかりとの出会いが多かったんですけど、あるとき隠れた場所にリストカットの傷がある女の子との出会いがあってね。「あ、これは見せられないんだ」って思ったんです。「こんなに傷つけてるのに、傷ついているのに、それが”声”にならないんだ」と。その女の子がきっかけだったというのはありますね。

アサダワタル

”表現”という話になったんですけれども、自分自身が伝えたい事があって全くそれが相手に見えにくい。一見明るく振る舞ったり明るいキャラクターで人とコミュニケーションをしてるようだけども、実は全く違う面を持ってたりするっていうのことが、取材の過程で分かってくると思うんですけど、そういう話を聞く中で心を許していくというか、自由に話してくれる、そういう段階ってのはどのように変わっていくものなのかなと。

橘ジュン

私も最初から何でも話が聞けるとは思ってないんですね。まずはその子に「私はこういう冊子を作ってるから話聞かせて」って声をかけて、本人がぺらぺらめくって、話したい事話してくれるってとこから話が始まるんですよ。一回会っただけで何でも全部話が聞けるとは思ってないので、「また会える?」っていう感じで時間を積み重ねて行ってる、そういう感じなんですね。

”支える” BONDプロジェクトのこと

アサダワタル

徐々に近づけば近づくほど一方で相談というか、向こうからもアクションが色々返ってくる可能性もあると思うんですね。その中で『ボイス』というフリーペーパーでも伝えられる事と、自分自身が何か相談された事に対して“伝えるだけじゃない”アクションを起こさないといけないような事があったりするのかなと思いまして。2年程前にも橘さんとお話した時に、凄くその事について考えました。そこの境目ってめちゃくちゃ難しいなと思ったんですよ。

橘ジュン

私も聞きたいから聞いてるんだけど、だんだんその子の話を聞いていくうちに、その子達って間違っている情報を信じてたりとか、自暴自棄になってるような状況だったりすると、本当にヤバい状況に陥るんですよね。「このままいったら死んじゃうよ」「ヤバいよ」っていう状況になっていること自体も分からないまま、立ち止まる事も出来ないまま、そこに向かって行ってしまう。そこに流されて行ってるというのが、私も凄く嫌なんです。だから話を聞かせてもらった私だから言える事っていうのもどんどん出てくると思っていて。例えば変な話なんですけど、十代の女の子が居場所が欲しくて、自分を必要とされたくて援助交際を繰り返しているという女の子いたんですね。避妊とかしないで、そういう行為を重ねてたので、「妊娠とかしちゃうよ」って言うと「大丈夫って言われてます」って言うんですね。「誰にどう言われたの?」っていうと、「逆立ちすれば平気」とか、「コーラで洗い流せば平気」とかそんな事を平気で言うんですよ。で、「それを信じちゃうの?」って言ったら、「うん、だって大丈夫だと思ったからそうすればいい」って。「いや!そんな事無いよ」って言って正しい情報を教える、とかね。でも、ただ情報を教えただけではどうにもならないような状況の子がいたりもします。例えば男から暴力をふるわれてるとか、居場所がないとか、お金がないとかってなれば、できることというのを、「こっちはこういうのはしてあげられるよ」「こういう状況だったらこういう所に相談に行こうか?」っていう風にアクションを起こしていかなければならなくなってくるんですね。本人が分かってなかった、実は困ってた、悩んでたって気づくまでが「取材」だと思っていて、気づいてどうにかしようと思ったらそこから先は「支援」だと。

アサダワタル

なるほど、今の話でそのプロセス、よくわかりました。実際そこから一歩踏み込んで支援という話になった時にNPO法人にされてますよね。BONDプロジェクトを立ち上げられて、『ボイス』の発行以外にどんなことをされているんですか。

橘ジュン

そうですね、うちは、メール相談、電話相談、あとは面談、週末パトロール、意識調査という事でアンケート、講座開いてイベント、出会いの場を設けるというのと、あとは出張面談。相談になかなか来れない子のためにね。昨日も電話相談だったんですけど、「彼氏から暴力ふるわれてて相談に行きたいんだけど、今手持ちのお金が2000円ぐらいしかなくてそっちにいけない」って言われたら、その子は何度も相談受けてる子だから、その子が本当にそういう状況だっていうのも私たちも分かるので、「じゃあ分かった。行くよ」と言って約束するとか、そんな感じで実際に会いに行く。そして会った場所で、繋げる先というのにも連絡をやり取りして、そこに彼女と一緒に同行、支援するというようなことだったりね。あとは本当に帰れない子とか、そういう子を一時的に保護して、「取りあえずゆっくり休んでゆっくり考えよう」って言って、そこから弁護士さんだったり色んな専門家の方達と一緒に面談を重ねて、その子の必要な支援先に繋ぐということをしています。

アサダワタル

実際NPOとして何人かスタッフがいたりとか色んな運営体勢でやってるんですよね。

橘ジュン

ようやくですね。ボイスの時は私とケンで初めてのことばかりでね。「私の話も聞いてほしい」という声がどんどん全国から届くようになってどんどん広がってきたので、二人だけではどうにもやっぱり。実際に支援をしなければならないような状況になった時に二人じゃとてもできるような状況じゃなくなってしまったので、NPOになったということだったんですけれども。今は、今度成人式を迎える19歳のアスカっていうスタッフと、25歳のショウコで、あとはボンドの設立時からやってくれてるナツコっていう25歳のスタッフと、あと来週ぐらいからうちのお手伝いをしてくれる19歳になったばっかりのミホっていう子と、今その4人ぐらいが中心となって色んな事をやってくれているんですね。あとそれに加えて「Bond+」というボランティアグループが7人ぐらいいてくれるので、その子達は学生さんだったりアルバイトをしてる女の子だったりするんですけど、そういう子達が時間がある時に色々お手伝いを、例えば保護している時も、「3時間だったら時間が空いてるから行ってご飯作ります」とか、「一緒に泊まります」とか「遊びに行きます」とかということでお手伝いしてくれてるので。

アサダワタル

ボランティアも随分色々と増えたんですね。

橘ジュン

知識があっても実際に関わらなきゃ分からないんですよ。電話相談とかも「Bond+」のメンバーが月に一度入ってもらうようにしてるんですけど、最初は物凄く「こういうやり取りをするべきだった」みたいな感想として出てくるんですね。「それはあなたでしょ、あなたの考えだよね?」「でも、聞かせてくれたその子はそう願ってない。勝手にあなたの考えをあてはめていくっていうのは違うよ」って。「こういう事ができるよ」って情報を伝える事は大事だけどこれが正解とかこれが間違ってるとかはないから。それを分かるには関わってくことしかないと思っているので、まず現場に出ます。

アサダワタル

なるほど。引き続き来週以降も橘さん自身の若かりし頃の経験、それと「居場所をつくっていく」みたいな事も色々これまでされてきたと思うんですけれど、もう少し具体的に聞けたらなと思いますので、引き続きよろしくお願いします。ありがとうございました。

橘ジュン

よろしくお願いします。ありがとうございました。

橘ジュンNPO法人BONDプロジェクト代表理事

1971年千葉県生まれ。10代の終わり、レディス・チームのリーダーとして取材を受けたことをきっかけに、ビデオ・レポーターやルポ執筆の活動を始める。2006年に街頭から声を伝えるフリーペーパー『VOICE』を創刊。2009年、NPO法人bondプロジェクトを設立。翌3月に渋谷で女性向けのネットカフェ「MELT」オープン。著書に『VOICE キミの声を伝える』(グラフ社)、『漂流少女 夜の街に居場所を求めて』(太郎次郎社エディタス)。

橘ジュン
パーソナリティ アサダワタル

1979年大阪生まれ。日常編集家。公私の狭間、異分野間を漂泊しながら、既存の価値観を再編集する表現を、音楽、文章、プロジェクトを通じて創作・提案。2002 年、バンド 越後屋のドラマーとして、くるり主宰レーベル「NMR」より2枚のCDをリリース。その後、音楽を主体に各地でソロライブ、プロジェクト、ワークショップを展開しつつ、2013年、ドラムを担当するSjQ++にて、アルスエレクトロニカ準グランプリ受賞。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、編著)『編集進化論 editするのは誰か』(フィルムアート社、共著)等。『ソトコト』や『マガジン航』等で連載。神戸女学院非常勤講師。

アサダワタル

Copyright © 2014 Kyoto Broadcasting System Company Limited All Rights Reserved