最新情報

レポート・コラム
橘ジュン『“小さな声”に耳をすまし、社会に伝えること 〜難民化する家出少女たちと歩む日々〜』(2/3)

  • 橘ジュンNPO法人BONDプロジェクト代表理事
橘ジュン『“小さな声”に耳をすまし、社会に伝えること 〜難民化する家出少女たちと歩む日々〜』(2/3)

橘さんは、その昔、「レディース」と呼ばれる、いわゆる暴走族の一員でした。学校のどこにも、社会のどこにも居場所がなく、毎夜非行に明け暮れた彼女は、あるメディアでの取材での編集者との出会いをきっかけに、「文章を書くこと」に導かれます。彼女が言葉にしていくのは、家族に暴力をふるわれて家出したり、薬物に依存せざるをえなくなった少女などの「声」。行き場を失った少女たちの生の声はメディアで伝えられることはないが、その見た目の奥に純粋な心や考えを秘めていることを実感。フリーペーパーを立ち上げ、福祉や医療関係者と協力をし、NPOを設立し、渋谷に女性だけが安心して使えるインターネットカフェを立ち上げ、様々なあり方で「聴く 伝える つなげる」活動を続けています。この小さな声に耳をすまし、社会の変革の鍵を見いだす彼女の活動は、糸賀思想との繋がりを今の世代へと感じさせるものと言えるのではないでしょうか。

“レディース”時代の原体験 一人一人の言葉

アサダワタル

前回、「伝える」ためのメディアであるフリーパーパー「ボイス」の話であったりとか、あと「支える」あるいは「つなげる」ための組織であるNPO法人BONDプロジェクトの話をしていただきました。今回はもっともっと遡って、橘さんご自身がかつて取材された事がきっかけでこういった活動の原点になったと、そのあたりのお話を伺いたいです。それはどういう状況で人から10代のころ取材されたのですか?

橘ジュン

十代のころ、私たちは地元の女の子達と、“レディース”っていってね。ほら男の子の場合は暴走族はあるけど、女だけのチームを作りたかったんですよ。そのチームを作って、それの取材を受けたのがきっかけだったんですよ。

アサダワタル

そういうレディース専門の雑誌?

橘ジュン

そういう雑誌があったんですよ。凄い色んな子が載ってて、大体その雑誌っていうのは女の子、レディース達が表紙でね。赤ちゃんを産めなかった女の子とか、逆にシングルマザーで頑張っている女の子とか、少年院とか鑑別所に入っちゃってそこから手紙が来たりだとか、そういう様々な10代の女の子が、「こんな生き方あんの?」っていう感じでありのままに載ってたんですよ。

アサダワタル

僕そういう雑誌って何となくイメージあるんだけど、どっちかというと特攻服を着てる写真が載ってるだけだと思っていました。でもそれだけじゃないんだ。

橘ジュン

一人一人ね、物語があったの。私もねその後、雑誌のライターからビデオのレポーターというのをやらせてもらうことになって、全国のレディースの取材に行く事になったんですよ、ビデオレポーターとして名古屋にもいったし、大分の方にも行ったし、北海道の方にも行ったし、本当に色んな所にね。レディースってその時各地にたくさんあって、たぶんそういう時代だったと思うんですけどね。それで、その時に取材の台本がやっぱりあったんですよ。でも、その台本通りに女の子達が答える訳無いじゃん。レディースのチームの女の子達がね。総長とか。でも決め台詞とか結構こっちで書くんですよ。でもそれが私は回を重ねるごとにつまんなく感じちゃって。「あれ!?待って。一人一人物語があってここに集ってるんだから」と思って、その取材の合間に一人一人に勝手に話を聞かせてもらう時間を作ったら、赤ちゃん抱えて16歳の子が「お父さん誰だか分からないんですけど、こないだ産まれた子です」みたいな感じでいるんですよ、16歳でですよ。で「うわっ」と思って、「え、ちょっと話聞かせてよ!」という感じでまあそこにいる一人一人の物語に興味を持ち始めてライターやったっていうのがきっかけですね。

アサダワタル

そっか、「ボイス」はある意味その時から始まってたんですねその時から。

橘ジュン

覚せい剤とかやって逃げてる女の子とか、それこそ極道しか愛せない女の子、大丈夫ですかねこんな話いっぱいしちゃって 笑。

アサダワタル

大丈夫じゃないですかね 笑。

橘ジュン

当時はね、そういう女の子の生き様を話聞かせてもらって、それを書くという事だったんですね。

アサダワタル

今思ったのがね、型にはまったその一つのチームとしての取材みたいな事と、一個人の名前がある人に対して取材するのって、出てくるエピソードが全然違ってきますよね。

橘ジュン

全然違う。だから特攻服の文字に書かれた言葉も皆一人一人思いがあって、「あ!この一言っていうのは大好きだった彼が亡くなって、その思いをここに込めてんだ」みたいなその一つ一つの言葉に対して物凄く興味をもったわけですよ。面白くて面白くてその子達が。それがきっかけでっていう感じだった。まずは私も初めて取材を受けた時に、一人一人の物語を聞いてくれたライターさんがいたんですよ。

アサダワタル

そのライターさんは凄いですね。

橘ジュン

そうなんですよ。今でも仲良いんですけど。よく歌舞伎町のゴールデン街で飲んだりするんですけど。で、みんな物語があってそれを私も感じられたんですよ。ああこんな風に私の話を聞いてくれる大人がいるって。で、それが面白くて今でも続けています。

ネットカフェ「メルト」の立ち上げ

アサダワタル

そう考えるとそこから始まって、もう20年ぐらいやっているわけですよね、今活動を。僕自身が一番最初に橘さんとお会いした時に実は橘さんが運営していた場所に会いにいったんですよね。それが当時渋谷でやってた「メルト」っていうネットカフェでした。

橘ジュン

女性専用の24時間のネットカフェだったんですけど、あれは、本当に私たちがこういう場所があったらいいねっていうのが、ポンっと最初に出来ちゃったんですね。BONDプロジェクトの設立と同時に。まぁすごく協力してくださった方がいたので。何でネットカフェを作ったかと言うと、今困ってて今泊まる場所がなくて今休みたいっていう子が行ける場所ってネットカフェだっていう事が多かったんですよ。でもそこでも女性専用とかじゃなかったから、性犯罪とか色んな被害を受けてたりとかという状況もあってね。じゃこんな子達がゆっくり休める場所って無いのだろうかって思って深夜は女性専用で使えるネットカフェ作ったんです。だから私たちとしてはもの凄く理想の場所だったんですけど、ただやっぱり運営としてはちょっと大変で、で、1年でそのプロジェクトは終わってしまったんです。今は渋谷の桜が岡というところに事務所を構えて、そこで一時保護で使える一室だけを用意して活動を続けています。

アサダワタル

相談を受けて支援の現場に繋げていったりするわけでしょ。先ほど言ったみたいに弁護士であるとか場合によってはソーシャルワーカーであるとか、その時々に必要な支援先に繋げていくけども、でも橘さんご自身はライターであったりとか。もちろんNPOも運営されているけども、取材される彼女達にとっていわゆる分かりやすい”支援者”という見え方じゃない。でも、だからこそ話せることとかあったりすると思うんです。その独特な立ち位置を橘さん自身、自分で意識する時ってあります?

橘ジュン

自分の立ち位置でしょ、分かるよ。こないだも歌舞伎街で漂流している女の子、家出している女の子と会って話聞いて、「今いくらあるの?」って言ったら「97円しかない」って言ってたのね。「お腹すいてる?」って言ったらお腹すいてるっていうからご飯食べさして、それで「充電したい」って言うから、「じゃあ普段だったらこういう場合どうしてるの?」って言ったら、「まぁ嫌だけど道に立って、声かけられた人とホテル行くか、そういう所で充電する」って言うから、「じゃあ今日はそういう事しなくていいよ」って言って私がホテルとってあげて、「じゃあここで今日はゆっくり休みな」ってね。「お風呂3日ぐらい入ってなかったから」って本人達が言うので、「じゃあ今日はゆっくり休みな」って言ってホテルとか泊めたりするんですね。でそこから、「あのさぁ、この暮らし続けたいの?」って聞くんですよ。そうすると、「うん」っていう子は「分かった、じゃあ会えるとき連絡して」っていう。で、「やめたいです。変えたいです」って言ったら相談先に連れてく。

アサダワタル

なるほど。あくまで相手の意思なんですね。そこって意見変わってきたりするわけですね。何回か会って行く中で。

橘ジュン

そうですよ。

つなぐ場所・自前で作る場所

アサダワタル

そういう風に支援者に繋いだりとか行政に繋いだりする時に、制度でカバー出来きれへんことを感じはったりすることはありますか?

橘ジュン

やっぱりね、18歳までは児童福祉、だから児童相談所に行く。18歳以上になると20歳未満で未成年なのに子どもとして扱ってもらえ なくて、児童として扱ってもらえないから、婦人施設とか……。

アサダワタル

18歳、19歳、20歳というこのグレーなゾーンがあるということ?

橘ジュン

そうなんですよ。そこが色々と支援から漏れてしまうような状況の女の子だと思うのよね。「19歳」って言われて、「一人で考えてごらん、もうすぐ大人だよね」って言われるけど、彼女達って子ども時代をちゃんと子どもらしく過ごせていない子たちだから、困っている時に助けてとか甘えたい時に甘えるというのを出来なかった子たちだから、人に見てもらいたくて、気づいてもらいたくて、ずっとずっと世間で言うところの”問題行動”を起こし続けちゃうのね。年齢だけがどんどんどんどん重なっていって、いつの間にかどこからも相手にされなくなるという、凄い怖い不安感を抱いてて、「二十歳になりたくない」っていう思いを抱いてる。明日ね、二十歳になった女の子に会いに行くんです、北海道まで 笑。

アサダワタル

ああそうなんだ。北海道?

橘ジュン

そう。「二十歳になったから死ぬ」ってね、「大人になるのが本当に怖い、だから死ぬ」って言っている子。だから会いに行きます。まぁ「死なないで」ってことなんですけどね。

アサダワタル

行政とか制度の部分で支援出来るところがあったりとか、あるいは漏れてしまうこともあったり。そしてまずもって状況を”キャッチ”するっていうこと自体が凄く難しいと思うんですけど。一番最初に現場に行ってキャッチをしに行ってるんだろうなと思うんです、橘さんの活動というのは。

橘ジュン

そう、だって知りたいもんね。

アサダワタル

キャッチをしていく活動自体に対する、変な言い方だけど、BONDプロジェクト自体に対する支援っていうのは今どんな感じになっているのかなと。

橘ジュン

国だとか、行政とかが?

アサダワタル

そう。あるいは具体的な話だとどこかから助成金をもらえているのとか。そういう話は一方で活動を継続していく上では凄く重要だと思うんですけど。国が出来なかったらNPOがやるべきだと思うし、その辺のところっていうのはどんな感じになってるのか結構聞きたかったんですね。

橘ジュン

最初はどこからも「ふうん」と思われてた。「え、こんなことだったらあんた達やりたくてやってるんでしょ!?」ってね。まぁ私たちも確かに「やりたくてやってるんですよ」みたいな感じだったから。だからこの活動の必要性を誰かに分かってもらうのに凄く時間がかかったんですね。だってほらBONDでメルトって場所があったから自分たちでほぼできちゃうし、そこに「ごめんちょっと来てもらっていいですか?」って弁護士さんだったり、福祉士さんだったり来てくれてね。その子の対応してくれてっていうので自分たちだけでやれてた部分はこれまではあったんです。

アサダワタル

だからそれが出来ていた時期はイメージとして”ネットワーク”という感じじゃなかったんですね。ここで支援は完結すると。でも本当はどこかに繋がなあかんとか色んな事があるんじゃないかと。

橘ジュン

メルトが無くなった時に「大変!」と思って。具体的には保護とか出来ないですし。

アサダワタル

実際メルトがなくなってから橘さんの活動もまた変わったんですよね。

橘ジュン

はい、色んな支援者の方達、先輩達と出会う事ができて、そういった方達に色々教わりながら、”つなぐ”っていうことが、今ようやく出来てきています。「ダメだったらまたおいで」っていう場所で私たちはあればいいと思ったから、繋ぐことで他の方達にもお願いしながらやってるって感じですね。場所がまず欲しかったからね。この子達が今いられる場所が。だって児相(児童相談所)に行くまでもそうだけど、保護してもらうまでって物凄い時間かかるんですよ。今困ってる子がいても「すいません!相談行きたいです」って言っても。「はいはいじゃあ今すぐ来て下さい」とか言ってくれないもん。

アサダワタル

やっぱそうなんですね。

橘ジュン

「すいません。どんな子ですか?ちょっと検討会議開きます」とかってなっちゃって。

アサダワタル

とにかく時間がかかる。

橘ジュン

かかる。でもその子に「ごめんね、明日も無理みたいって。二週間後だって行けるの」って言って、じゃあその二週間どうするんだって話なんですよ。とにかく彼女達には行く場所が無いの。家には帰っちゃいけない子達なの。虐待受けたり暴力受けてたりしてて命に危険がある子達。だからそういう子達をじゃあ今困ってて今いられる場所っていうのでうちがあっていいと思ってるから、やっぱりもう一回そういう居場所を何かしら作りたいですね。うちは今、一人保護したらいっぱいいっぱいになっちゃうんですよ。本当に色んな子を一度に引き受けるというのは無理だから、そうなったらまた違う場所に、大丈夫そうな人の所に相談行って繋ぐって事をもちろんするんだけど、でもどうしたって、行政の窓口を通さないと受け入れられない状況の人達が多いの。ちゃんとした支援だからこそだよ。でも私たちはそんな事言ってらんないって思うから、子ども達の話を聞かせてもらってるからね、分かるからね、どんな危険性が街の中にあるか、どんな風に大人達から利用されるかって分かってるからね。だから「じゃあおいで、いまおいで」って言ってあげたいの。言える自分たちでいなきゃいけないと思っているから。その今1人2人ぐらいが精一杯なのを、もうちょっと3人4人にしていきたいと思ったら、今やりたいなと思っているのは、ゲストルームみたいな場所がいるじゃないですか。みんなでご飯食べれる場所があって。就労支援とかも大事だと思うんだけど、その前に生活支援なんですよ。何にも出来ない。教わってないから。ご飯の炊き方もそうですけど、一緒に生活して、だけど、どうしたいか決められるような状況になったら考えていけると思うし。まずは「じゃあおいで」って言って、少し生活出来る場所、私たちも焦りながら、そろそろ繋げないとと焦るのが凄く嫌なんで、「じゃあおいで、いいよ」って言ってあげられるゲストルームを作りたいんです。

アサダワタル

彼女達の生活もそういう風に一緒に見ていけるような現場をこれから作っていこうという可能性を聞けて、それは非常に興味深いな と思いました。また引き続き次回は糸賀一雄さんの本のお話なども、お話いただけたらと思いますので、じゃあ今日はこれで一旦終わります。ありがとうございます。

橘ジュン

ありがとうございます。

橘ジュンNPO法人BONDプロジェクト代表理事

1971年千葉県生まれ。10代の終わり、レディス・チームのリーダーとして取材を受けたことをきっかけに、ビデオ・レポーターやルポ執筆の活動を始める。2006年に街頭から声を伝えるフリーペーパー『VOICE』を創刊。2009年、NPO法人bondプロジェクトを設立。翌3月に渋谷で女性向けのネットカフェ「MELT」オープン。著書に『VOICE キミの声を伝える』(グラフ社)、『漂流少女 夜の街に居場所を求めて』(太郎次郎社エディタス)。

橘ジュン
パーソナリティ アサダワタル

1979年大阪生まれ。日常編集家。公私の狭間、異分野間を漂泊しながら、既存の価値観を再編集する表現を、音楽、文章、プロジェクトを通じて創作・提案。2002 年、バンド 越後屋のドラマーとして、くるり主宰レーベル「NMR」より2枚のCDをリリース。その後、音楽を主体に各地でソロライブ、プロジェクト、ワークショップを展開しつつ、2013年、ドラムを担当するSjQ++にて、アルスエレクトロニカ準グランプリ受賞。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、編著)『編集進化論 editするのは誰か』(フィルムアート社、共著)等。『ソトコト』や『マガジン航』等で連載。神戸女学院非常勤講師。

アサダワタル

Copyright © 2014 Kyoto Broadcasting System Company Limited All Rights Reserved