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関口祐加『福祉の見方をちょっと変えてみる 〜映画「毎日がアルツハイマー」を通して〜』(1/2)

  • 関口祐加映画監督
関口祐加『福祉の見方をちょっと変えてみる 〜映画「毎日がアルツハイマー」を通して〜』(1/2)

認知症の母の介護というともすれば重いテーマを、ユーモアたっぷりに描いて好評の映画『毎日がアルツハイマー』。監督の関口祐加さんは、オーストラリアでドキュメンタリーに出会い、映画監督としてのキャリアを積んできた、異色の履歴を持つ方です。家族や介護、福祉というテーマを映画という表現でどのように語り直していくか。このことにはこのテーマに真摯に向き合ってこその「価値の転換」が潜んでいます。福祉の裾野をひろげる表現の可能性。ぜひお聴きください。

毎日がアルツハイマー

アサダワタル

「毎日がアルツハイマー」なんですけども、完成されたのはいつでしたか。

関口祐加

公開されたのが2012年の7月ですよね。完成したのは3月ぐらいだったと思いますね。

アサダワタル

上映されてから1年半ぐらい経ってどうですか今?

関口祐加

凄く面白いなと思ったのは最初の反応と今の反応が大分違ってきてるというのは感じていますね。

アサダワタル

観客の方々のレスポンスというかリアクションが変わって来ていると。簡単にどういう映画かというのを監督からご紹介頂きたいと思います。

関口祐加

自分の母親が認知症の疑いがあるという段階、2009年なんですけどそこからカメラを回し始めてアルツハイマー型認知症という風に2010年の5月にお医者様から言われて、映画は2012年の2月で終わるんですけれども、母との共同生活というか、一緒に生活している様子を撮り続けた作品で、これが自分の作品の4作目なんですけれども、初めて自分自身でカメラを持って撮るということをやりました。

アサダワタル

実際僕自身もちょうど一年前にですね、上映されているのを見させて頂いて、すごい生々しい、生活の一つ一つの断片と言うか、生々しさというのはおそらく生活一つ一つを撮り続けているという事と、あともう一つは親子の関係というところだからこそ出てくるエピソードとか会話などが、もうそのまま出てくるんですよね。でも何かそこからこう一見アルツハイマーとか認知症とかいう話だから、考えようによっては重いテーマという話になるんだけども、親子のコミュニケーションの様子を見てると、全然そういう重さは全く感じられなくって、本当にユーモアな雰囲気を感じながら楽しませてもらいました。でもただ笑うだけじゃなくって見終わった後は何かが残るんですよ。自分の事とか自分の親の事とか、あとなんで重いテーマの話っていう風に自分は最初から先入観を持っていたんやろうとか。その辺り関口さんとして、映画監督という表現者として向かい合う対象のところで気をつけられていた所や、あるいはどういった事を目指して今回この映画作られたのか、少しずつお話し頂けたら。

関口祐加

重いテーマっていうのは世間的な評価ですよね。それはなぜかっていうと認知症になったら大変!っていうね。でも自分の親が認知症になった時に、どう向き合うかっていうのは、今おっしゃっていただいたように、私にとっては「映画にした」っていう事なんですよね。それは映画監督の私の視点としては言われたまま今世間のままをそのままポッコリ持ってくるんじゃなくて、目の前の対象である、被写体である母との付き合いの中で、じゃあ娘であり映画監督の私が母の認知症とどう向き合うかという問題でもあったんです。その時に世間的な尺度は私の中では全くなかったですね。つまりなぜかというと、認知症の事を知ると母の初期の認知症、実は映画の中に出て下さった新井平伊先生(順天堂大学精神医学教室 教授)が本当に明確におっしゃるんだけれども、「初期こそ一番本人はつらいんだ」と。つまりね、これは凄く面白い。面白い病気っていう言い方しちゃいけないんだけど、認知症が凄く奥が深いなと思うのは、初期は母は自分で何かが起こっているという自覚があるんですね。マダラぼけっていうんですけど。その時に辛いのは実は介護している家族ではなくて本人であると。そこを理解した時にその辛い本人をどうしてあげたらいいんだろうかという時に関口家は笑いが得意なのでとにかく笑いでやっぱり包んであげようと。というある種の作戦であり戦略ですよ。だからそれを映画にきちんと撮っていったんで。もう一つは映画にしようと思ってたんで母にカメラは向けてたんだけどホームビデオを撮っているつもりは全くなかったんですね。YouTubeに小出しに出してはいきましたけど、あれもある意味では挑発的に母の状況を見て頂くという事で皆さんの反応をその都度窺いたかったという理由がありますね。

アサダワタル

YouTubeとかTwitterとかいろいろ使われていましたよね。その関口さんのTwitterのつぶやきとか、色んな意味でかなり挑発的だったと思うんですね。それは僕自身は好意的に、面白いなと思って。つぶやかれている様子を見て、「面白い!って言っていいんやろうなこれは」という感じのノリを僕自身も持ってみてたんですよ。

関口祐加

私自身もそう思ってたんですね。実は姪っ子とか息子達も、おばあちゃんおもしろくなったって思ってたんですよね。それはどういうことかというと、認知症になる前の母が凄く真面目で、ちょっと私自身が苦手という意識があったので、なんかそれがさばけちゃったんですよね。それに対して家族は面白いと思っていたんですけど、世間的には全然違う評価な訳ですね。でそれってどういうことかっていうと、例えば福祉もそうなんですけど、見ている人間のものの見方によって変わってくるんですね。私良く言うんですけど、コップの中の水、半分ある水をある人は「半分しかない」って見るんですね、でも私は「半分もある」っていうタイプなんですよ。でも見てる対象そのものは同じ。そこの問題なんじゃないかなというのは凄くあって、それで『毎日がアルツハイマー』は作られていったんです。実はアルツハイマーってタイトルに付ける事自体がかなり挑発だったんですね。最初は実は叩かれたんですよ。なぜか。それは老いていく母親ですよね。認知症であるかどうかっていう前に。老いていく母親をまず曝け出す。認知症であるという母親、しかも認知症であるという事実もさらに曝け出す。「それは一体どういうことなんだ!?」と結構最初はマイナスの反応が多かったですね。で、その時に「なるほど」と思いました。例えば批判したメディアの人たちって「老いていく事を恥ずかしい」と思っているんだと。

アサダワタル

なるほど、そうですよね。

関口祐加

認知症っていうことを恥ずかしいと思っているということが逆に私には分かったんですね。これが世間の反応なんだと。で、私自分の事考えると、母の事ちっとも恥ずかしいと思っていないんですね。今言いましたように、母はとっても明るくなって、さばけて本能的に赤裸裸で喜怒哀楽がはっきりして。私は喜怒哀楽がはっきりしないでつかみ所の無かった母よりも今の母の方が凄く好きなんですね。だからそういう思いが映画の中に出たんじゃないかなって。

アサダワタル

おっしゃっているように、娘である関口さんとご家族とお母さんがいる訳ですよね。例えば関口家だったら笑いっていうのがあるという風におっしゃったように、一家族の新しいコミュニケーションというか、お母さんがそうなっていっているという状況自体をどういうアプローチで受け止めていくかの問題であって、大きな社会問題どうこうっていうよりは、「うちだったらこういう事実をこういう風に受け止めたよ」って確認することの意義がここにはあると。それで、受け止める時にある意味一つ「映画」っていうものとか、何かしら「表現」っていうものをそこに挟む事ができてね。もちろん、関口さんの場合は映画監督だから、撮られたものは当然公開され、僕らは関口家と直接関わりのない人たちも広く見る事が出来る、つまり社会化される、しかもタイトルも「毎日がアルツハイマー」って書いているから、世間的に色々と突っ込みどころ出てくるけれども、一方で「あくまで一家族のやコミュニケーションのあり方」っていう風に今回の映画を考えてみれば、それはそれでちょっと面白いなと改めて思いました。

認知症というレッテルを超えて

関口祐加

今回一年半経って日本全国色々上映させて頂いて思うんですけど、皆さんマニュアルとか法則とかが好きなんだよね。

アサダワタル

聞きたがるんですか?そういうところ?

関口祐加

こういうやり方、つまりこういうアプローチで接すればいいんだよというようなことですね。多分それは不安だから、こういう風にすればいいっていう答えに多分辿り着きたいんでしょね。今回続編の収録でイギリスに行って来たんですよ。それは私自身が最初は認知症のにの字も知らなかったのに、母が認知症になってからいろいろ知りたくてどんどんどんどん勉強してね。まぁ好奇心ですよね。そこで認知症ケアの先進国と言われているイギリスがあるということで、日本のお医者さんだけじゃなくってイギリスの先生からもお話を聞きたいんで行っちゃうっていうね。そうするとそこでガツンと言われたのは「認知症になったって人なんだ」ということ。日本はどちらかというと「認知症の何とか」さんっていう風になるんですよね。例えば、認知症の関口ひろ子さんになっちゃうんですけど。やっぱり私が日頃思ってたように母親は認知症だけど関口ひろ子という人間なんだという人権ですよね。そこがね、しっかり分かってたんですよ、イギリスは。だから認知症になっても十人十色、みんな違う。症状が同じであってもそこに行くプロセスは違うんですよね。だから見方が違うなって。きちっと個人として認知症を受け止めて人間をきちっと見るっていうね。「パーソン・センタード・ケア」っていうんですけどね。そういうことをイギリスの先生はおっしゃいましたよね。

アサダワタル

認知症っていう事がその人の一人の人間の物凄くでかい人格の割合を占めるっていうか。

関口祐加

いやもう色眼鏡ですよね。

アサダワタル

とたんに認知症の何何さんっていう風になってしまう。

関口祐加

それはね、何故私がすごく敏感かっていうと今ご紹介ありましたけど、オーストラリアに29年間いたじゃないですか。私のレッテルはアジア人だったんですよ。

アサダワタル

なるほど、周りから見たら、ある種のマイノリティとしてアジア人として見られていたと。

関口祐加

そのレッテルを破るっていうのは凄く大変なんですね。それはどのマイノリティも同じ。他民族国家の中で必ずやメインストリームの人がいて、メインでないとマイノリティなんですね。マイノリティっていうレッテルって言うのは、マイノリティの何とかさんになっちゃうんですよ。なのでその気持ちは母が突然認知症になって、認知症の関口ひろ子さん、認知症だからこういう話し方をされるというのは、凄く私にとっては多分人の10倍敏感に感じることで、それは自分の立場がオーストラリアではある意味そうだったから。29年間凄く闘ってきて、私は映画監督という表現を手に入れたとき、そのマイノリティ性を逆手に取って、マイノリティの意見を聞けっていうね、その表現する力を得たので、皆を振り返って色んな作品を作るっていうことができたけれども、ごくごく普通の職場にいる人で苦しんでいる人沢山いるんですね。それは障がいでは無いんだけどもある種の社会的障がいなんですよ、やっぱりね。だから日本の中にいる在日の人とかね、そう言うマイノリティの人達、それから例えば頑張って海外から来て働いている人を見ると、何て言うかね、かつての自分の姿を見るんですよ、そこに。だから全く日本の中だけで生きてきた人たちの感性とはちょっと違うかもしれないですよね。

アサダワタル

また次回以降さらに関口さん自身のバックボーンも含めながら少し大きな福祉という所とも絡めたお話と続けさせて頂きたいと思いますので。どうぞよろしくお願いします。

関口祐加

はいこちらこそ、ありがとうございました。

関口祐加映画監督

1957年横浜生まれ。日本で大学卒業後、オーストラリアに渡り、天職である映画監督となり、1989年「戦場の女たち」で監督デビュー。世界各地で上映され、メルボルン国際映画祭のグランプリをはじめ数々の賞を受賞。そして2010年、母の介護をしようと決意し帰国。認知症の実母を娘である監督が撮影するという、壮絶なドキュメンタリー「毎日がアルツハイマー」を制作され各地で話題となる。今回はその続編を引っさげてのご登場。

関口祐加
パーソナリティ アサダワタル

1979年大阪生まれ。日常編集家。公私の狭間、異分野間を漂泊しながら、既存の価値観を再編集する表現を、音楽、文章、プロジェクトを通じて創作・提案。2002 年、バンド 越後屋のドラマーとして、くるり主宰レーベル「NMR」より2枚のCDをリリース。その後、音楽を主体に各地でソロライブ、プロジェクト、ワークショップを展開しつつ、2013年、ドラムを担当するSjQ++にて、アルスエレクトロニカ準グランプリ受賞。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、編著)『編集進化論 editするのは誰か』(フィルムアート社、共著)等。『ソトコト』や『マガジン航』等で連載。神戸女学院非常勤講師。

アサダワタル

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