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命が透けてみえる 〜ミジンコから命について思うこと〜

  • 坂田 明サックス・クラリネット奏者 / 東京薬科大学生命科学客員教授 / 広島大学大学院生命圏科学研究科客員教授
命が透けてみえる 〜ミジンコから命について思うこと〜

毎年、滋賀県の大津プリンスホテルで開催されている福祉にまつわる祭典「アメニティフォーラム18」のオープニングトークとして開催された坂田明さんの講演内容をお届けします。ミジンコの生命から考える、自然と人間の関わり方や命の常識について、坂田さんならではの視点でパフォーマンスも交えて披露いただきました。

はじめに ミジンコってどんな生き物?

みなさんこんにちは、坂田明でございます。

今日は、命が透けてみえるミジンコというものを通して、私が今まで三十数年ミジンコとつきあって、他の生き物とつきあって、生き物としての私とつきあって、考えたことを皆さんにお話したいと思います。

では、最初のお話。命が透けて見えるミジンコ、というのはどういうことかというと、ミジンコの体というのは、たとえばこれは学名はDaphnia ezoensis(ダフニア・エゾエンシス)、これはエゾハリナガミジンコといいますが、体長が1.4mmくらいです。

「わ!ミジンコだ」。これは、初めて顕微鏡でミジンコを覗いた時に僕が叫んだ言葉です。なぜそう叫んだかというと、ミジンコが生きて動いていたからです。体が透明で、全部透けて見えたからです。ミジンコとは漢字で書くと、木端微塵のミジンコです。それぐらい小さいということですね。外国ではどのように呼んでいるか。英語だとWater flea(ウォーター・フリー)水の蚤ですね。蚤の市のことを、フリーマーケットといいますね。日本人はLとRの区別がつきにくいのですが、あのフリーは自由ではなくて、蚤のことです。

ミジンコはプランクトンだろうと皆さんはたぶん思っていると思いますが、プランクトンというのは、どういう分類かといいますと、水の中に生きている生き物は、三つの名前で呼ぶことにしています。1はネクトン、遊泳生物。2はプランクトン、浮遊生物です。3はベントス、底生生物です。浮遊生物プランクトンというのは、遊泳力がまったくないか、またはあっても流れに対して定位を保てない生き物、これをプランクトンというのです。よくよく考えてみたら、人間は何かというと、「お、あっちだぞう」といえば、あっちへワー、「あ、そっちだぞ」といえばそっちへワー。人間はプランクトンですね。わかりますか。中には反抗している者がいますけれども、そういうのはだいたい刑務所に行ったりします。それは本人の自由だから、別にいいんだけれども。

今は三つに分けましたが、生物とは、はっきりとは何かしら分類しきることに無理があります。例外が存在するからです。人間も、男と女というふうにおおまかにはわけられますが、ジェンダーの不一致とか、両性具有の人とか、いろんな人がいるので、男と女のように完璧に分けることはできないのです。分けるのは便宜上の話なのです。

次にミジンコの大きさです。ミジンコの大きさは、0.5mm~5mmくらい。画像のオオミジンコというのは日本にはいません。研究者が外国からもらってきて、研究に使っています。普通のミジンコはだいたい、2.5mmから3mmくらいです。そして命が透けて見える。体が全部透明ですから、顕微鏡で見れば何があるか全部わかっちゃうのです。

次にミジンコは何を食べているか。植物プランクトンやバクテリアなど、水の中で生まれる最初の生き物を食べているのです。この生き物の量たるや莫大な量です。この莫大な量の生き物が生きていることで、私たちは魚を食べているのです。簡単にいうと、100kgのカジキマグロが100kgの体重になるためには、体重の10倍から20倍くらいの餌を食べているのです。1000~2000kgということになりますね。1tから2tでしょう。便宜上まあ、カツオとか食べるわけですね。そのカツオが1tになるためには、その10倍の餌、10tの小イワシとかサバの子どもとか、アジとかを食べるわけですね。その諸君は100tの動物プランクトン食べてますね。100の動物プランクトンは、1000tの植物プランクトンやバクテリアを食べるわけです、皆さん。これは莫大なことです。これはぼーっとしていたら見えません。文句を言わずに黙って生きています。人間だけが勝手にいろんなことを言っておりますが、ミジンコが脱原発で集まったと言う話は聞いたことはありません。イヌもウシもそういうことで集まりません。人間以外は皆だまっています。

ミジンコに愛は通じない

そしてミジンコに愛は通じない。こういうことを言うから、私は科学者ではないんだな。私はミジンコの味方で、ミジンコのウォッチャーです。バードウォッチャーと同じような、そういうものです。愛という概念は人間が作ったもので、それは人間中心主義のもとであり、所有や支配いうものと結びつきやすいのです。愛は人間の都合でできたものである。ミジンコはこのような概念や文化と関係なく、「ミジンコの都合で生きている!」のです。皆さんも、人間の都合で生きていらっしゃいます。なおかつ、「おう、今日ちょっと一杯行こうや」「いやあ、今日はちょっとうちで用があって都合悪いんだよ」というように、それぞれの都合があって、それぞれの都合で生きてらっしゃいます。たまには都合が合うけれども、都合が合わない時もあるわけです。そして、ミジンコは、ミジンコの都合で生きているのです。あらゆる地球上の生命は、生命だけでなくて鉱物も大気も地殻変動も、それぞれの都合で生きています。このことを人間は、まあ適当に考えすぎて、えらい目に合うわけです。それはひとりひとりが考えればいいことですが。一番大事なことは、ミジンコに愛が通じないということです。ということは、怒っても無駄です。このひとたちは、黙って地球上の生き物を支えて、子孫を残しつづけているのです。

子孫の残し方

ミジンコはどうやって子孫を残すのか。メスがメスばかりを産む。それは皆クローンだと。それがまたメスばかりを産むのだから、どんどん、爆発的に増えるんです。環境が良い時はそうなります。これは受精卵ではなく、無精卵が生まれてくるのです。卵巣から卵がいっぱいつながっていますね。背中いっぱいまで30匹くらいが入りますね。環境が悪化した時に、メスはオスとメスを産み分けます。両方産むのです。両方産んで、これオスとメスがいますね。オオミジンコ、ミジンコ、アミメネコゼミジンコ、ですね。ニセオオミジンコというのも、今はタイリクミジンコという名前に変わりましたが、それもいますね。この時は交尾をしますので、両性生殖がおこなわれます。そして交尾したメスは受精卵を産みます。殻の中に受精卵が入っています。卵だけになるとこのようになります。サヤエンドウと同じです。この状態だと、環境が悪化して、水がなくなっても、凍らせても、どんな状態でも生きていけます。だから、春になって田んぼに水をはると、、ミジンコだけじゃなくて、いろんな生き物が、土の中からジャーンんと出てくる。カエルなんかは冬眠してますね。ミジンコは、休眠しているのです。そしてまたバーンと出てきて大騒ぎ。その時期にだいたい魚が卵を産んで、子どもが生まれてくるのです。その時期にリンクして、シンクロしていて、こういうものがどんどん増えていくのです。田んぼに水がはられると、それが引き金になって、卵が発生を開始します。つまり、寝てた奴が細胞分裂をしてミジンコになろうとするのです。卵から生まれるのは全てメスです。そうして再び、メスだけの単為生殖がはじまるのです。皆さん、わたしたちはお母さんからうまれているのです。男の人はそれを早く認めた方が、早く楽になれます。わかりますか、言ってること。わからない場合は、30年後に考えてください、生きていれば。それまで生きていなかったから、残念だったってことで、来世で。

客観性なんて存在しない

ミジンコのことを研究をしている人がいますけれども、ほとんどのことがわかってないんですね。ぼくは去年研究者の方と三人で本を出しましたけど、わかっていることはほんの3~4パーセントで、ほとんどのことはわかっていません。客観性というものは、世の中にあるとおもってらっしゃると思う人は手をあげてください。意外と少ないですね。ほんと?嘘いってない?客観性というのはないんですよ、世の中には。現実は見えないでしょう。結局、自分の興味のあるものしかみていない。今わたしは年をとったから、若いお姉ちゃんをあんまりみてませんが、若いころは姉ちゃんしか見ていない。客観性というのは、ひとつの理想的な人間が作った概念ですが、そういうものは存在しない。みな、偏見をもって世の中をね、色眼鏡でものをみないと、世界はみえないのです。

例えばダニは目が見えません。光に対して反応します。だいたい木の上に乗ったりしていますが、何を手掛かりにしているかというと、その下を通る動物の酪酸の匂いがすると落ちちゃう。うまく背中の上に落ちたら、主のない所をさがして血をすって子孫を残す。ほとんどが落ちてしまうけれど、また木の上に登って次を待つ。長いのは9年待ってるらしいです。ダニの世界はたったそれだけで、客観性もくそもない。

モンシロチョウはアブラナ科の葉っぱ、キャベツとかの上を飛んでいる。その葉っぱにメスが卵を産みつけている場合が多いから、オスはそこにいけばうまれたばかりのメスを見つきゃ青田刈りしている。アゲハチョウなんかは柑橘類の光が当たる高いところを飛びます。その時に、大事なことなんですけど、人間でもあらゆる生き物は、性的に動機づけられている場合、さかりがついているかついていないかということで、見えるものが変わります。

今メスを求めたりオスを求めたりしている場合は、餌よりも、メスはだいたい待っていて。がぶーんと飛んでいくのですが、フェロモンは1メートルくらいまでしかわからない。アゲハチョウは黒と黄色の模様を見る訳です。阪神タイガースのユニホームをきているとアゲハチョウがきてしまうのです。触ったら違うから飛んでいきますけど。まずは色で近づいて近寄って触ると、昆虫の脚というのは臭覚を探知するので「あ、メスだ!」とわかったら交尾する、それがアゲハチョウの都合であるわけです。それで交尾をしたら、今度は蜜を吸ったりするのです。

自然(ジネン)と役割

命は結果的に互いに支え合って生きている。ミジンコは、植物プランクトンやバクテリアを食べている。ミジンコは小魚に食べられる。小魚はもっと大きな魚なんか食べられる。マンタとかジンベイザメのように、オキアミみたいなのを食べたりするものもあるが、ある命は、他の命を食べていきているのです。僕はタナゴが結構好きで、二枚貝のえらのなかに卵を産むのですが、卵が産まれてどうなっているかは、貝を開けないとわかりません。むかしは、「ジネン(自然)」といってました。それを、森鴎外かなんかがNatureを「自然」としたもんだから、しぜんとジネンが分離されてしまったんですよ。昔は、人間も含めてジネンだったのです。人間が何かのえさになることはほとんどありません。人間だけが金儲けのために生き物を殺す。これは文明発生以降の大問題なんですよ。文明の発生とはなんなのか、農耕牧畜がおこった時点で文明発生です、自然というものはありがたいものですが、何がおこるのかわからないので畏怖の念も持っていた。これがアニミズムの現流。しかし文明が発生して富の蓄積がおこるわけです。貧乏人と金持ち、権力と支配されるものができ、職業の分化が起こるのです。例えば僕はアイヌの人と一緒にCDを十枚くらい作ったのですが、アイヌの考え方って音楽はみんなで一緒にするものであって、演奏する側と聞く側といったように分かれない。

一言だけ。「ウレシパモシリ」という「ウ=たがいに。レシパ=育てる。モシリ=大地。」昔、北海道は「アイヌモシリ」とよばれた。アイヌは人間ということ、ウレシパモシリは「たがいにそだてあう静かな大地」。静かに見えるんですよ。海の中では殺戮が起こっている。イワシの大群がわーっとカツオに食われている。群れが消えてなくなります。そういうことはずーっと起こっているのです。それを静かな大地と呼ぶ、彼らの哲学です。イヨマンテのような儀式をして彼らは暮らしていたのです。「ある精肉店のはなし」という纐纈あやという監督が撮った映画があります。そこに牛を連れて行って飼っていた牛を連れて行って気絶させてぼーんと解体をするわけです。それを売っている。その映画を皆さんご覧になった方がよいと思いますね。僕は実際中学校の時に一年半オスの牛を買いました。豆腐屋に行っておからをもらって餌をやってました。それを、オート三輪にのせて売ろうとするのです。家畜処理場へ売ろうとするときに、牛の巨大な目からぼとって涙が出る。でも中学生の僕はそれを売らないと自分たちが食っていけないことをわかってるから、我慢してやるのです。わたしたちも死にます。確実に死ぬんですよ。それは、ミトコンドリアというのが全部支配しているので。その命令によって死んでいくのです、細胞は入れ替わります。昨日と今日はそんなにかわらない。しかし、一年経ってみたらだいぶ変わっていく、そういうことで老いていくのです。「お前ら死ね!」というのであれば細胞は常に新しいのでずっとみずみずしいのですが、死なないのもいる。それは何かと言うと癌です。またもちろん私たちは健常者だけじゃなくて障害者もいる。この世界はジクソーパズルのようなもの、その一コマ一コマは刻一刻と変化する一コマ一コマなのです。そうやって、死んでいく人もいれば、生まれてくる人もいるのです。であるから、僕は昔「役立たず」という曲を作りました。

(独唱)

でね、これを作って自分が演奏しているうちに僕は思いました。子どもの頃親に「役立たず!」と言われたことをね。それはね、「役立たず」という「役」をやっているのだと。もし組織の中に役立たずがいなかった誰かを血祭りにあげるのです。100点の奴がなぜ喜ぶか、0点のやつがいるからだ。だから、0点をとったひとに、300円くらい払ったっていいんですよ。それ以上どうにもならない人もいれば、2~3年して急に勉強ができるようになる人もいる、それもジクソーパズルのように一コマ一コマいれる。わたしたちが役割というものに自信をもって生きて行ったらいいと思うんです。なんの取り柄もないという役割を。みんな生きてていいんです。そういう人が私のまわりにもいたのです。悪いことをやっている人たちも、インチキをしている人たちも、役割なんです。あーするとあーなるという役割なんです。命というのは、みんな同じようにみえますが。

ミジンコの場合は、食べられてしまう人と食べられてしまわない人がいます。何億年もそうやっていきてきたのです。クラゲは10億年くらいだそうですね。ゴキブリ3億年、人間はたったの20万年前くらいに出てきただけです。

アメニティーフォーラムの基調講演としてふさわしかったかどうかはわかりません。それは皆様方が決めることです。どうもありがとうございました。

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