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わたしにとっての“福祉”的な本 ~井上泰夫さんの場合~

  • 井上 泰夫京都産業大学ボランティアセンター
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糸賀一雄さんの思想や活動から感じられる“福祉”の広がり。このコラムでは、本事業に関わる様々な立場の方々が、書籍の紹介を通じてこれからの福祉のあり方を語っていただきます。第3回は、京都産業大学ボランディアセンター 職員の井上泰夫(いのうえ・やすお)さんです。

知らされない愛について(著:岡 知史)

 夕陽が差し込む青少年活動センターの図書コーナーで、偶然私が手にとったのが、岡知史著『知らされない愛について』であった。そのとき私は中学校3年生で、おおよそ同年代の少年たちと同じように、途方もない混沌の中に自らの身を置こうとしていた。「何のために生きるのか」という、思春期特有の答えのない問いかけと悩みの繰り返しの中で、私は常に自分自身を探し求めようとしていた。
 そんな時、私はふとこの本を手にとった。全くの偶然であったといってもいいだろう。強いていうならば、標題の「愛」という単語に惹かれたのかもしれない。とにかく、薄紫の表紙の薄い冊子を、私は何の気なしに開いた。引き込まれるように、私は夢中になって読み耽った。いつか、夜になっていた。

 本著は、大阪ボランティア協会が発行する「ボランティア・テキストシリーズ」の一つとして1991年に発刊されたものである。もともとは大阪のボランティアグループ「サロンあべの」の会誌に連載されていたエッセイが加筆・修正され、まとめられている。
 本著は、「テキスト」として発刊されたものではあるが、著者の岡知史氏が「あとがき」で書いている通り、ボランティア活動について直接的に言及されているものはほとんどない。担当している学生のことや中高生時代の思い出、亡くなってしまった友人のことなど、著者の「個人的」なできごとが、平易な文体で4ページほどの分量で綴られている。
 だが、内容は深く、読み応えがある。目次を開くと、「知らされない愛について」「ひとを救うもの」「失われた命の意味について」と、ヘビーなタイトルが付されたエッセイが続く。ヘビーなのはタイトルだけでない。死や悔恨、別れなどがテーマとして扱われており、エッセイ集にありがちな「ほのぼの」としたテイストはあまりない。しかし、どのエッセイからも、優しさと温かみ、そして強いメッセージがにじみ出てくるように感じられるのである。それは、いずれのエッセイも「出会い」が通底するテーマになっているからなのかもしれない。

生きている人たちは、ぼくたちに向って「そうだ」とも「そうでない」とも言ってくれるが、死んだ人は何も言わない。だからこそ、死んだ人はすべてを生き残った人に託している。生きている人は、死んだ人のすべてを受け取るように死んだ人から期待されているのである。
それだから、死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも、人を動かす。生きている人に応えようとして動く人は少ないが、死んだ人に応えようとして動く人は多い。なぜなら、生きている人の命は生きている人本人のものだが、死んだ人の命は生き残った人たちのものだからである。
(pp.16『失われた命の意味について』より)

 すっかり暗くなった図書コーナーで本著を読み終えた時、私の中に一つの決意が生まれていた。「私は、もっとたくさんの人と出会う生き方がしたい」それが、私が福祉の道へと進ませるきっかけになったのだった。
 高校生になると、さまざまなボランティア活動に参加した。大学では福祉を専攻した。院生の頃は、児童養護施設でワーカーとして働いた。今、私は大学でボランティア活動を支援することを生業としている。それは、今まで受けてきたたくさんの恩の「恩返し」または「恩送り」であると考えている。
 思い返せば、たくさんの「出会い」に、私は育てられてきた。ボランティア活動を通じて出会った障がいのある仲間たち、施設の子どもたち、そして社会で活躍する学生たち。彼らとの出会いに私は支えられてきた。いや、今も支えられている。たくさんの「出会い」を描いた本著と出会うことで、私がボランティアの世界へと足を踏み出したように、私もまた、私の原体験となる個人的なできごとを語ることでそれを社会に開き、次代を担う人たちに伝えていかなくてはならない。それが、私が次の10年に取り組むべき仕事であると感じている。
 福祉を志す者だけでなく、人生に悩むさまざまな年代の方々にお読みいただきたい珠玉の一冊である。

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画像提供:社会福祉法人大阪ボランティア協会