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田口ランディ『アール・ブリュットとの出会い、“福祉”に関わるなかの自己変容』(2/3)

  • 田口 ランディ作家
田口ランディ『アール・ブリュットとの出会い、“福祉”に関わるなかの自己変容』(2/3)

宗教、福祉、医療、スピリチュアリティ、自然など様々なテーマを、小説、ノンフィクション問わず精力的に執筆されてきた田口ランディさん。彼女がアール・ブリュットといかにして出会ったのか、また彼女自身が“福祉”に関わりながらどのように変容を遂げたのか。福祉現場における当事者と支援者の関係性を新たに変えてゆく表現活動の可能性について、糸賀氏の思想と実践も絡めながら独自の視点で語っていただきます。

衝動の原点

アサダワタル

前回の最後の方にアール・ブリュットの話について、あと福祉の現場の方、とりわけ浦河べてるの家で「ランディさんも病気なんだ」みたいな事言われた話などをしていただきました。そこでアール・ブリュットの話なんですが、一言で言っても作品のタイプとか、あるいは作品に秘められた背景とか当然バラバラなわけで、色んな人が描いてらっしゃるわけですよね。ランディさんにとって 印象に残っている作品、今関心を持っている作品って具体的にあったりしますか。

田口ランディ

そうですね私、内山さんという方が作ってらっしゃった、おっぱいのオブジェが凄く好きなんですよ。彼は聴覚障害を持ってらした方なんですけど、ずっと耳が聞こえないんだということが周りから理解されなくて、色んな家庭事情とかがあって発見が遅れちゃったんだと思うんですけれども、でもあるときやっと福祉の方に耳が聞こえないという事が理解されて、それで施設に入って手話を習得するんですよ。やっと人とコミュニケーションがきっちり取れるようになっていく過程で、急に表現衝動が彼を突き動かしたらしく、オブジェを作り始めるんです。それが凄く綺麗な女の人のおっぱいのオブジェで。エロチックというよりか、どちらかというと祝祭的というのかな、花が咲いていてとてもきれいなおっぱいなんですよ。私それが大好きで彼が言葉を習得して人との関わりを取り戻した、その暖かい気持ちとか幸せな感じとか、包まれてゆくような人間関係の中に入って行って、ほっとするようなね。それが作品から伝わってくるんですよ。もちろん先に彼のこの作品がいいなと思ってから、そこでどんな人が作ったのって聞いたらそこにそこにそういう話がくっついてきたっていう事なんですけれどもね。

アサダワタル

先に作品を見てるというわけですよね。

田口ランディ

モーツァルトの音楽を聞いたときみたいな、無邪気で楽しい気持ちになる作品なんですよ。

アサダワタル

今の話を伺ってると、「あ、この人は聴覚に障害があるんだ」と福祉の領域で気づかれて、ようやくそこから手話を習得したりするというコミュニケーションの中で、結果的にそういう制作もされたという事であれば、「支援」という言葉ってすごく多様な言葉だなと何となく思ってきたんですね。アール・ブリュットって言葉って障害の有る無しに関わらず、美術教育受けてない方とか、色んな方がありのままの芸術という事で作品が生まれていると思うんですけど、一方日本の場合は福祉の現場からたくさんの作品が生まれてて、それを見届けたりとか、あるいは場合によっては発見される支援者の方の存在がクローズアップされることもあると思うんです。福祉の現場だからこその関わり合いの中で作品が生まれてくることって、一体どういう風なコミュニケーションがそこにあるのかなという事がいつも気になっているんですけど、ランディさんにとってそういう背景って気になることはありますか。

田口ランディ

例えば私は作家になろうと思って文章修行したりとか、新人賞に応募したりとかというのは全く無しで、とにかくお兄ちゃんが亡くなったっていう、自分のお兄ちゃんが死んでしまったということのショックからもの凄く物書きたくなるんですよ。その時に私を突き動かして私の中からバリバリと生まれて来た「表現したい!」という衝動について。自分は実感があるんですね。どんな人でもそれがなかったら作品とか長編なんか書けませんし、絵なんか書けないし、音楽も作れないですよ。とにかく表現したいという衝動が必要なんだけど、その衝動っていうのは「何故あのとき出てきたんだろう?それまで無かったのに」ってね。なんか凄く自分でも不思議なわけです。

アサダワタル

その衝動っていうのは続くって感じなんですか?

田口ランディ

「続かなくなったらどうしよう」って凄く怖かったんですよね。内山さんの場合はおっぱい作るんだけど、300体ぐらいつくってパッとやめちゃうんですよね。

アサダワタル

パッとやめる。

田口ランディ

アール・ブリュットの人、パッとやめる人いますよね。

アサダワタル

いますね、確かに。急に描かなくなる。

田口ランディ

そう。そこに執着ないんですよね。でも私なんかは執着強いからずっと作家でいたいわけですよ。どっかであれはいきなりやってきた衝動だったけど、書きたいって言う衝動が消えちゃったら「私、惰性で小説とか書いちゃうのかな……」みたいな、そういう不安がずっとあったんですよね。だけど、何だろうな、アール・ブリュット見ていると“うつって”ってくるんですよ。

アサダワタル

それすごいな 笑。

田口ランディ

伝染してくるんですよ、衝動が。だからより深く関わっちゃうんですよね。

アサダワタル

関われば関わる程、そのエキスみたいなものを、こっちで与えてもらえるみたいな。

田口ランディ

もらっちゃってるの私。凄く。

アサダワタル

美術館に観に行く時とかでも、創る衝動をこっちから求めて観に行って、何でこんな事ができるんだろう、何でこんな表現が生まれるんだろうというのを自分に返して、それでエネルギーに代えて書くとか、音楽やっている人だったらそれをするとか、その感じというのは何となく僕も自分なりにありまして。アール・ブリュットって、作りたい衝動の原点みたいなものだと。

田口ランディ

特にこの人達は何の教育も受けていないし、とにかく衝動だけなんですよ。だから衝動のエキスが凄い濃いんですね。

アサダワタル

100%濃縮されてる。

田口ランディ

100%濃縮衝動みたいな感じだから。それを見る事によって物凄く自分は元気になれるんですよね。色んな人に観てほしいなと思う訳。その人達の表現衝動を。もしかしたら引っ張り出してくるかもしれないから。

アサダワタル

その表現衝動って色んな人達にどういう風に伝えていくべきなのかってところにも関心があって。もちろん展覧会をすることを通じて色んな場づくりが今あって、それをランディさんみたいに何かモノを作る立場の人に観てもらうというのはあるかもしれないけれども。凄く思うのは、「あ、凄いもんも出会ってしまったなぁ」という感覚をね、日常生活にまで持って帰ってもらうというか。別に作家じゃなくても、サラリーマンであっても、じゃあそのもらったエキスを次の日からどう生かして行くかみたいな。そういう感覚が日常まで続いて行ったら面白いかなと思うんですよ。

田口ランディ

何かの形で入ってくるんじゃないかな。それに向き合っちゃうと。私、絵も描き始めちゃったもんね。

アサダワタル

え、そうなの!?今描いてはるんですか?

田口ランディ

描いてます。結構アール・ブリュットで影響受けちゃって、ある日突然絵を描きたくなって。描いた絵を一度アール・ブリュットのテーマの講演会でみんなに見せたら凄いほめられて感心されて、ますますいい気になっちゃって。観ているうちに描きたくなるっていう子どもとか多いですよね。アール・ブリュットの展覧会って。

アサダワタル

そうでしょうね。子どもは特に。僕の知ってる人も、子どもじゃないし絵を描く事が本業じゃないけども、自分自身がちょっと一回描いてみようかなって思わされるっていう所はあるみたい。今まで美術館に行って観た作品ではあんまりそういう「自分も描きたい!」って感覚はあまり無かったんだけど、アール・ブリュットの作品とか色々観てると自分が描きたくなったというのは結構意見としてあると思います。

田口ランディ

コンセプチュアルアートじゃないからね。理屈じゃないんですよ。「これでいいんだったら俺でも出来る!」っていう気にさせてくれるんですよね。

アサダワタル

衝動の話でいうと、衝動というのは無くなったらどうしようという不安もありながら続いていくわけですけど、とは言え、衝動の“質”みたいなものってやっぱりランディさんの中でこの間で変化はしていっている感じなんですか?

田口ランディ

そうですね、変化はしていってるけど消えないですね。やっぱり。楽しい。楽しさの方は増えて行きますね。書く事での。

アサダワタル

なるほど、楽しさが。

田口ランディ

書いてて楽しいっていうかな。最初の三作ぐらいは夢中で書き過ぎて訳わかんなくなっちゃう。憑依されたような感じになっちゃってね。衝動に乗っ取られちゃってって、描く事を楽しむっていう余裕が無かったんですけど。

アサダワタル

書く事イコール自分と合体しすぎてるみたいな感じ。

田口ランディ

それも辛いっていうか。今の方がちょっと楽しいかもしれないですね。

アサダワタル

物凄い衝動に突き動かされて書くのと、衝動で突き動かされて自分も含めてもうちょっと客観視できて楽しむみたいな余裕も生まれて書くのとだとまた続けていき方とか変わってくるんでしょうね。

田口ランディ

その合間にもう少ししんどい時期があってね。ちょうどそういう時期にアール・ブリュットに出会ったんですよね。

アサダワタル

それも含めて何か縁があったのかもしれないですね。

田口ランディ

そう。だからもう少しこれは「書き続けろ」ってことなんだなとか思いましたよね。

アサダワタル

ランディさんにもそういうしんどい時期があったんだ。

田口ランディ

やっぱり、ありますよね、どっかで人の言う事に惑わされて、「こういう作品を描いた方がいいんじゃないか」とかね、「もうちょっとミステリー仕立てのが」とか。

アサダワタル

むちゃくちゃ端的にいうと、もうちょっと売れる方がいいんじゃないかみたいなことですよね。

田口ランディ

もちろんそれは出版社は望んできますので、そういう事を周りから言われると悩んだりとか、「もっと小説うまくなんなきゃいけない!」とかね、人を喜ばせるとか、売れるものを書かなきゃいけないんじゃないかという気持ちがおこってきちゃうと書けなくなっちゃうわけですよ。自分に自信がなくって。そういう時期にアール・ブリュットに出会ったんでラッキーだったなって思う。

アサダワタル

書き続けてる中で、ランディさんにとって扱うテーマは変化していっているというよりは、むしろ一貫しているテーマの中で様々に派生して行っている感じにみえます。今までランディさんの作品を読ませて頂いていて、ちょうど去年の夏にも『ゾーンにて』という作品を通じて、3.11の震災と原発事故以降、ランディさん自身も書く事を通じて何か変化のようなものは生まれつつあるんでしょうか?あるいはこれから変えて行きたいという事があれば具体的に。

田口ランディ

いやもう本当に「原点に戻っちゃおう」という感じです。やっぱり私は自分の目を通して自分の身体を通して感じた事を書くことが一番好きで、そう言う事を書いてデビューしてるんだけど、だんだん売れるとか、物語を展開させるみたいなことをしなきゃいけないみたいなね。それが良い小説っていう風に少し洗脳されてきていて。やばいやばい。もっとちまちまと自分の視点を大事にしながら書いていこうと。そこが私の本領発揮だみたいな事はあるので。ずっとそれでいきたいですね。

アサダワタル

自分が自分であるということの原点を持ち続けてということですよね。なるほど、ありがとうございます。また次回以降、最後に糸賀一雄さんの書籍について、福祉の話につなげてお話して頂けたらと思います。どうもありがとうございました。

田口ランディ

ありがとうございました。

※1 『ゾーンにて』

田口ランディ氏の書籍『ゾーンにて』(文藝春秋)のこと。

田口ランディ作家

1959年東京都生まれ。2000年、長編小説『コンセント』でデビュー。2001年『できればムカつかないで生きたい』で第1回婦人公論文芸賞を受賞。近年は、福祉や医療、原発、水俣問題をはじめとする現代社会が抱える問題や、宗教、精神、生、死などをテーマに、小説やノンフィクションを精力的に執筆。昨年2013年夏に新刊『ゾーンにて』を発表。

田口ランディ
パーソナリティ アサダワタル

1979年大阪生まれ。日常編集家。公私の狭間、異分野間を漂泊しながら、既存の価値観を再編集する表現を、音楽、文章、プロジェクトを通じて創作・提案。2002 年、バンド 越後屋のドラマーとして、くるり主宰レーベル「NMR」より2枚のCDをリリース。その後、音楽を主体に各地でソロライブ、プロジェクト、ワークショップを展開しつつ、2013年、ドラムを担当するSjQ++にて、アルスエレクトロニカ準グランプリ受賞。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、編著)『編集進化論 editするのは誰か』(フィルムアート社、共著)等。『ソトコト』や『マガジン航』等で連載。神戸女学院非常勤講師。

アサダワタル

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