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田口ランディ『アール・ブリュットとの出会い、“福祉”に関わるなかの自己変容』(3/3)

  • 田口 ランディ作家
田口ランディ『アール・ブリュットとの出会い、“福祉”に関わるなかの自己変容』(3/3)

宗教、福祉、医療、スピリチュアリティ、自然など様々なテーマを、小説、ノンフィクション問わず精力的に執筆されてきた田口ランディさん。彼女がアール・ブリュットといかにして出会ったのか、また彼女自身が“福祉”に関わりながらどのように変容を遂げたのか。福祉現場における当事者と支援者の関係性を新たに変えてゆく表現活動の可能性について、糸賀氏の思想と実践も絡めながら独自の視点で語っていただきます。

“小説”について

アサダワタル

前回のアール・ブリュットのお話では「衝動そのものをエキスとしてもらって、自分の衝動を思い出す」というか、その都度、再確認するみたいな話をしていただきました。ランディさんの中でもおそらく衝動っていうのもその都度その都度変化しながらも持続してると思うんですけど、僕自身がランディさんの作品の中で一番好きな作品が『パピオン』っていう作品なんですね。改めて収録前にまた読み返してたんですけれども、あの作品が面白かったのはエリザベス・キューブラー=ロスについてのテーマであるとか、お父さんの看取りの話とか、その内容そのものも自分にとって興味があったんだけれども、あの文章の体裁というか。これってランディさん自身のことを書いてるんですけども、なんだかとってもふわふわしてるんですよ。本自体が夢の中みたいな感じで。きっと書店に並んだりするときのジャンルはノンフィクションってことになるのかもしれないけれども、僕の中では「これは小説だ」とすごく思えたんですね。

田口ランディ

そう言ってくれるとめっちゃ嬉しいんですよ。

アサダワタル

本当にそう思いました。

田口ランディ

あれは小説として出したかったんですよ、私は。だけど自分の実体験みたいなものをテーマにすると、それはノンフィクションのジャンルに入れられるようになっちゃったんですよ。かつて日本には伝統的な私小説っていうジャンルが近代まではあったんですけども、現代に入った時にちょうど70年ぐらいからかな、私小説は流行らなくなっちゃったんですよね。それで大きく物語を展開させたりとか、ストーリー的に面白かったり、ドキドキしたりというものが、「小説」って呼ばれるようになってね。個人のちまちました身の回りの出来事とか人生について非常に私的に書くものは、「エッセイ」て呼ばれるようになっちゃったんですよ。

アサダワタル

エッセイと呼ばれるんですね……。

田口ランディ

はい。でもエッセイじゃないんですよね、嘘いっぱい書いてたりするから。ところが「これ小説なんですけど。だって全部本当じゃないから」って言っても、「でもこれはジャンルとしては、エッセイとした方がいいんじゃないですか」とか、「随筆とかノンフィクションにした方がいいんじゃないですか」とか言われるし、読者も本当の事だと思っちゃうんですよ。勝手に。

アサダワタル

思いますし、思うんだけどもあのシンクロニシティというかね、色んな事が同時に起きていく、あのニュアンスっていう部分を、多分それこそ実際本当に生活して起きてることかどうかは分からないけど、きっとランディさんには確かに見えてる世界があるんだろうなというのを、いわゆる物理的な現実世界の上に乗せていっている気がするんですよね。演出としてふわふわっとした作品として見えてるから僕はそれを小説と思ったんですけど。でもそれも含めて、だからって僕はあれはエッセイっていう風にはやっぱり言えないんじゃないかなと改めて思いましたけどね。

田口ランディ

表現の中で小説だけは非常にジャンル分けが進んでいて。

アサダワタル

がっつり分かれているんですね。

田口ランディ

がっつり分けられるようになってしまって、今作家の人達ってみんなここで苦しんでいる。

アサダワタル

そこで苦しんでいるのか。

田口ランディ

うん、ここで苦しんでいる。「どのジャンルですか?」みたいに言われちゃうんですよ。「何でも良いじゃん」って思うんだけど。「どこの棚に入れたら良い?」とかすっごく細かく営業の人が聞いてくるんですよ。そうするとそれに答えなきゃいけないみたいな雰囲気があって、表現的にはヤバいですね。

アサダワタル

なるほど。そう言う事も含めて前回も原点に戻るみたいな事を言って頂いたんですけど、ランディさん自身が「自分」というテーマをもう少し、よりそこに焦点を当てていくというのはある種その時代的には挑戦だと思うんですよ。

田口ランディ

福祉の話と絡めると例えばアール・ブリュットって今まで全く現代アートの中にすら入れてもらえないようなジャンルだったわけじゃないですか。それがアートって言う世界に殴り込みをかけているような所があるでしょ。それは福祉の人達が押し上げて来たわけだよね。そんな風にして既成の業界というのはどうしても保守化して行くんですよ。

アサダワタル

そうですよね。自分のルールっていうか作ってきた殻を内側から破るのは難しい。

田口ランディ

全く別の所からそこに入ってくるものが全く新しいものを発見して殻を壊していくっていう事ってあると思い、そういう意味で福祉って言うのはあらゆるジャンルに影響を与えるぐらい今元気いいなって私は思ってるんですけど。

おせっかいと依存

アサダワタル

糸賀一雄さんの書籍を色々と読んでる中で、福祉って相当広く考えているっていうか、結局、いわゆる福祉制度にも影響を与えてはるんだけども、もっと地域で普通に生活をしていくこととかを考えたら、福祉という思想が一つののりしろになって色んな所に飛んで行けるという感覚を改めて感じているわけなんですが。ランディさんに読んで頂いてる、糸賀一雄さんの書籍自体は50年60年前に書かれたようなものもあると思うんですが、今の時代に糸賀さんの本を改めて読んでて何か思われた事とかありましたか。

田口ランディ

人間は社会的な存在で、関係の中で生きる事が人間として生きる事だってはっきり言い切っちゃってるんですよね。私はどういう風に関係を作って生きるかってことこそが、生きる事なんだって言われると、「そうですね」って、「その通りだと思います」っていう、そこはスカっとしましたね。人として生まれて人間に成長して行くっていう考え方ってあらゆるジャンルに重要な事だなと思っていて、今ってソーシャルメディアとかインターネットとかで関係は簡単に取りやすいんだけど、関係の中で成長していけるかって言われるとそうでも無いんですよ。人間になれない。人と人とが個として繋がってはいるんだけど、それが人間にまでなれないような繋がりっていうかね。

アサダワタル

そこの差って何なんでしょうね。個と個というものがありながら、繋がっていって人間になって行く変化っていうのが当然あるんでしょう。あるんだと思うんですけど、そこにどういう風なコミュニケーションが加われば、個と個とが分かれてるだけじゃなくて徐々に人間に近づき、より人間として繋がっていくことができるのか。

田口ランディ

すごく単純にいうと、おせっかいだと思いますよ。

アサダワタル

お互いにおせっかいをかけ合うみたいな。気にかけ合うという事ですか。

田口ランディ

おせっかいしないんですよね。ソーシャルなコミュニケーションっていうのは言葉ではするけど。具体的に自分がそこに動いていってどうするかっていう事がなく、「風邪引いてるよ」っと言うと「大事にしてね」っていう風にコメントはするけど、コメントだけ。でもおせっかいは具体的な事をしちゃうって事じゃないですか。

アサダワタル

みそ汁作って家トントンって行くとか。

田口ランディ

そういう感じ。共感力とか愛とかに繋がっていくんじゃないかなと思うんですね。糸賀さんは共感と愛っていう言葉を凄く使っておられる。この二つの言葉は確かに言い換えていかなければいけないような手垢がついた言葉のように思われがちなんですけれども、その言葉が持っている本来の意味っていうことを、私たちは知っているのかっていうとそうでもないんですね。

アサダワタル

そうですよね。

田口ランディ

勝手に使い古しちゃってるから「ダサい」とか「またそれかよ」って気持ちになっちゃうんだけど具体的な現場に入って行くとね、それは言葉としてじゃなくて行いとか関係で生きてるから、私はそれは福祉の現場って面白いところだなっと思ってるのね。

アサダワタル

日常で起きている事自体がその一人一人の中で言語化できているかどうかっていう所は分からないかもしれないけど、でも身体で感じているというか、それは日々まとわりついているようなものがあるってことなんですよね。

田口ランディ

何となく一緒に病気になったり発病しちゃったり具合が悪くなったり、精神的に具合の悪いテンパッちゃってる人と一緒にいると自分も具合悪くなっちゃったりとか感染しちゃったりしながらね、そしたら周りの人が何とかしてくれたりとか。薄く浅い依存というか、広い意味での沢山の人との依存とか関係ていうのが作れていくといいなみたいな。

アサダワタル

そう考えたら依存って言う言葉も一見印象があんまり良くないような言葉だと思われてると思うんですけど、お互いがお互い、この二人だけじゃなくて色んな点と点で具体的におせっかいをかけあうという、かかわり合いながら、依存し合って行くっていう状況が薄く色んな所で広がって行けば、それはそれでそういう行為や関係性と「福祉」っていうことがイメージとして繋がれば、「別に依存ということもいいんじゃないか」と言えるって事なんですかね。

田口ランディ

そうなんです。父が依存症だったので、「依存はいけない。自分は自立しなきゃ」ってずっと思ってきたんですよ。そしたらそれが病気だって言われちゃって。

アサダワタル

あ、それ自体が?

田口ランディ

「これがお前の依存病だ」とか言われて、「ああそうかもしれないな」ってね。一人でなんか生きていけるわけないのに、父親がああいう風にお酒に依存してたりすると、依存っていう事自体が悪いから、私は頑張らなきゃみたいな所が凄くあったんですよね。

アサダワタル

そっかそっか……。

田口ランディ

依存嫌い。でもそれやっちゃうと誰も助けらんないんですよね。一人で背負い込んじゃうとまず自分がすぐ潰れちゃうから。

アサダワタル

「背負っている事自体も表現する」っていうか表して行かないとそこに関わって行くきっかけができないっていうことなんですかね。

田口ランディ

結局父の事も自分でしょい込もうとしすぎちゃって、結構自分がしんどくなってたところはあるんだけどもうとにかく手に負えないっていう所で人に頼る事ができなかったですね。

アサダワタル

もうそろそろ時間最後なんですけれども、ランディさんの方から何か告知はありますか。

田口ランディ

文藝春秋社の『オール讀物』という雑誌で連載が始まるんですけど。短編読み切り連載なんですけれども。今回のテーマは宗教なんです。

アサダワタル

直球宗教。

田口ランディ

はい、大好きな 笑。

アサダワタル

大好きなって言いましたね 笑。

田口ランディ

オウム真理教の事件を私はずっと取材してきたんですけれども、それをベースに全くオウムじゃないんですけど、「人が求める救いとか悟りって何なんだろう」みたいな事をテーマにして書いているので良かったら読んで下さい。

アサダワタル

分かりました、ありがとうございました。3回にわたって田口ランディさんに色んなお話をして頂きましたけども、また引き続き色んな所でお会いして。これからもよろしくお願いします。

田口ランディ

ありがとうございました。

※1 『パピヨン』

田口ランディ氏の書籍『パピヨン』(角川学芸出版)のこと。

※2 エリザベス・キューブラー=ロス

精神科医。死と死ぬことについての画期的な本『死ぬ瞬間』の著者。

田口ランディ作家

1959年東京都生まれ。2000年、長編小説『コンセント』でデビュー。2001年『できればムカつかないで生きたい』で第1回婦人公論文芸賞を受賞。近年は、福祉や医療、原発、水俣問題をはじめとする現代社会が抱える問題や、宗教、精神、生、死などをテーマに、小説やノンフィクションを精力的に執筆。昨年2013年夏に新刊『ゾーンにて』を発表。

田口ランディ
パーソナリティ アサダワタル

1979年大阪生まれ。日常編集家。公私の狭間、異分野間を漂泊しながら、既存の価値観を再編集する表現を、音楽、文章、プロジェクトを通じて創作・提案。2002 年、バンド 越後屋のドラマーとして、くるり主宰レーベル「NMR」より2枚のCDをリリース。その後、音楽を主体に各地でソロライブ、プロジェクト、ワークショップを展開しつつ、2013年、ドラムを担当するSjQ++にて、アルスエレクトロニカ準グランプリ受賞。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、編著)『編集進化論 editするのは誰か』(フィルムアート社、共著)等。『ソトコト』や『マガジン航』等で連載。神戸女学院非常勤講師。

アサダワタル

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