最新情報

レポート・コラム
みえにくい生きづらさに気づくこと 〜ポスト福祉現場を語り合う〜

  • 橘 ジュンNPO法人BONDプロジェクト 代表
  • 永見 昌子NPO法人BONDプロジェクト スタッフ
  • 山下 耕平コムニタス・フォロ 主宰
  • 川浪 剛NPO法人支縁のまちネットワーク 代表
  • アサダ ワタル文筆家・音楽家(本シンポジウム コーディネーター)
みえにくい生きづらさに気づくこと 〜ポスト福祉現場を語り合う〜

毎年、滋賀県の大津プリンスホテルで開催されている福祉にまつわる祭典「アメニティフォーラム18」。初日2月7日のナイトセッションとして開催された本プログラム。支援者自身の経験がもとに立ち上がるプロジェクトは、既存の制度では追い付けない支援のあり方を感覚的にキャッチします。非行、依存症、リストカット、引きこもり、不登校、ホームレス、孤独死など。そんな支援のあり方を模索します。

アサダワタル

コーディネーターを務めさせていただきますアサダです。まず私の方から三組の団体のゲストの方を紹介させて頂きます。NPO法人BONDプロジェクトの橘ジュンさんと永見昌子さん、コムニタスフォロ主宰の山下耕平さん、NPO支縁のまちネットワークの川浪剛さんです。簡単に今回の趣旨説明とコーディネーターとしての自己紹介をさせて頂きます。この大津プリンスホテルで開催されてきたアメニティフォーラムも六回目の参加になります。文筆家、音楽家、という肩書きで前に立たせていただいています。音楽とか文章を書く事を仕事にさせていただく中で、元々大阪で活動をしておりまして、文化活動をする場所で様々な企画を行わせていただきました。その中で私が福祉と出会うきっかけになったのは、10年前、新世界、釜ヶ崎で活動する文化系NPOとの出会いがあり、そこのスタッフになった事でした。今まで福祉という領域と関わる事は無かったんですが、そのNPO法人を運営していた場所が、日雇い労働をされている方がいたり、野宿をされている方がいたり、福祉や就労に関する課題を抱えている街だったわけです。その関わったスペースは単なるライブハウスではなく、お茶が飲めるカフェのような場所を運営していまして、そこに様々な方々がやってくる。商店街の方、日雇い労働をされている方、そういった方を支援される方、障がい者の方、そういった方々が芸術関係のスペースに少しずつ集うようになっていきました。自分達が文化活動をやっている一環でそういう方々と場づくりをやっていけないかなあと考えているようになりました。例えば西成で労働されている方でも詩を朗読されている方とか、かつてホームレス経験をされて現在は生活保護を受けて福祉マンションに住んでいる方々が紙芝居グループを結成されているとか、そういった方々と一緒に恊働してやっていくことが多かったんです。

ただ、文化活動と福祉の現場が繋がる事は簡単な事ではないと思います。様々な所で福祉関係の方と恊働させて頂く中で、私自身も元々知らなかったんですが。福祉と言われる現場にも色んな専門がある。認知症の方を対象とした施設もあれば、障がい者福祉と言われる中にも色んな領域がある。しかしその中にどう名付けていいのかわからない、生きづらさや困難と関わっておられる方がいる事を知りました。その中で今日出演される三組の団体の方々に出会い、今日のイベントでコーディネートさせて頂きました。ポスト福祉現場みたいな話というと少し難しそうに聞こえるかもしれないですが、なんとか核心に触れながらお話できたらなぁと思っています。一見「福祉」という言葉で括りきれないようなグレーゾーンの話です。一組目は橘ジュンさん、永見昌子さんです。まずお二人からBONDプロジェクトの紹介をしていただけたらと思います。

プレゼンテーション(1) BONDプロジェクト

橘ジュン

拠点は渋谷ですが、私達の所には全国から女の子の声が届きます。声を上げてくれた子達に自分たちから会いにいくこともしています。生きづらさというものは最初分からなかった。声にならない声を伝えたいと思い2005年頃に自費出版でフリーペーパー『VOICE』を作ったんです。渋谷や歌舞伎町に出向き、終電が終わっても街にいる子達と出会い、その子達の声を聞く事から始めました。別に助けたいとか、そういう気持ちの前に、子の子達がなぜここにいて、何を求めているかを知りたいと思いでやってます。取材をした女の子の中に妊娠していた子がいました。援助交際で生計を立てていたんですね。困っている状況なのになぜどこにも相談に行かないのかと思いました。でも彼女たちは色んな事情があって家に帰れない子達なんですね。この子達は一体どうなっちゃうんだろうっていう不安が大きくなって、関わり始めました。なんとかしてあげたいと思ったけどどうしたらいいか分からない。彼女達を福祉の専門家のところに相談しにいくように繋ぎました。でも彼女達は夜活動している子達なので、昼間行政の窓口に行く事が出来ない。駆け込み出産に立ち会った事もあります。そういう女の子達と出会い続けて、こういう子達の視点に立ってきちんと相談する相手が必要なんじゃないかと思い、BONDプロジェクトを設立しました。それではBONDプロジェクトの活動のVTRを流させていただきます。

アサダワタル

声を聞いて言葉にして伝えていくということが、それどころじゃなくっていく。聞いて伝えて、さらに必要な相手に繋いで行くっていう事が大事なんですね。橘さんがやっておられるような事の同業者の方はおられるんでしょうか?やはり珍しいんでしょうか。

橘ジュン

知らないですね。

アサダワタル

声の聞き方とか聞き取って行くときに「困っている事ありますか?」っていう聞き方をするわけじゃないですもんね。

橘ジュン

むしろこっちがあなた達の声を知りたいって感じですね。まず話を聞いて伝えるという事がBONDプロジェクトをやっていく原点になっていると思います。

アサダワタル

それでじゃ、BONDプロジェクトの紹介を詳しくしていただけますでしょうか。

永見昌子

活動理念は「自分の存在が透明である」と感じている子が声を出せる場所を作る事です。聴く、伝える、繋げるが活動の軸。メール相談、電話相談、街頭パトロール、アンケート等。ある方に「BONDプロジェクトは専門機関と私たちを繋ぐんじゃなくて、今日と明日を繋げてる」と言われて嬉しかったです。夜の街で「動く相談窓口」みたいな事をしていて、はみだせない子達、外に出て来ない子達との連絡は私たちが発刊している『VOICE』を読んで向こうから来てくれる。電話もかかってくる。家に帰れない状態の子から外から電話がかかってくることもあります。渋谷のセンター街で「自分の居場所があると感じていますか?」「死にたい、消えたいと思った事はあるか?」「自殺未遂をした事があるか?」「悩みを相談しているか?」「悩みの内容」などのデータを取ったところ、「死にたい」という言葉をつぶやいた向こう側には家庭の問題があったりするんですね。自分が何で苦しいか分からないから「死にたい」という。窓口はいっぱいあるけど、実際には困ってるってなかなかいけない子が多いんですよ。今後の課題は今ある支援からこぼれ落ちてしまう女性達がいるので、そういう子達から声を聞いて行きたいと思っています。

アサダワタル

運営面についてお聞きしたいんですが。若い女性のスタッフ達やボランティアの方達がおられるが、運営していくのは金銭面も含めてどうやっているんですか。

橘ジュン

東京都の自殺対策緊急強化基金で事業を頂いています。あとは助成金。いつでも声が届けられる状況にして行きたいので何度でも相談を受け入れられる体勢をどう作って行くかってことがこれからの課題です。

プレゼンテーション(2) フリースクールフォロ・コムニタスフォロ

アサダワタル

山下さんとの出会いは10年来。フリースクールフォロという活動をされています。またコムニタスフォロという活動の話もしていただけたらと思います。では、山下さんご紹介お願いします。

山下耕平

山下です。私は不登校の事に関わっておりフリースクールのスタッフやフリースクールを自分で始めたりしています。私は自分が不登校を経験した訳ではないんですが、大学生の時に学生新聞を作っていて、最初の取材でフリースクールに行ったのがこの仕事に関わるきっかけになりました。最初はなぜ子ども達が学校に行かないんだろうと思っていましたが、子ども達と関わって行く中で、逆になぜ自分は学校に行っていたのか分からなくなった。学校に行くのは当たり前のこととされていて、行かないのはおかしいという空気がありますよね。学校の方で実際体罰や、いじめがあったり、そういうのがなくても言葉にならない理由で行き辛い子もいる。それなのに学校に行くのは絶対で、行かないのはおかしいというのは何なんだろうと。そういう事を考えてたら20年ぐらい経ってしまいました。私は大学を辞めて東京のフリースクールのスタッフを5~6年やっていました。その後『不登校新聞』という新聞の編集長を8年ぐらいやっていました。その編集長を別の方に引き継いでもらったあと、大阪に編集部を移そうという話になり、今度は大阪でフリースクールを立ち上げようという話になって、「フォロ」というフリースクールを2001年に立ち上げました。今は大阪市内でやっています。元々は不登校という事をベースに考えてきたんですが、今度は学校を出てからの若者に目がいくようになった。社会からはじかれた若者が増えているが、若者達の方がおかしいんじゃないかという言説があって、それに対して違うんじゃないかと思いがあるんですね。学校のあり方とは違う学びの場、育ちの場を作ろうと思いフリースクールを作った。そしてまた若者が集ってくるような居場所が必要。引きこもりをいかに立ち直らせるかとという支援や就労支援はあるけど、そういうものではなくまずはただ集って、そこから苦労とか色んなものを分かち合えるような場所が必要だと思っていて「コムニタスフォロ」を作りました。

アサダワタル

フリースクールというところから、学校になぜ行かないのかというのではなく、学校になぜ行ってたのかという問いが生まれて、そこからさらにフリースクールのあり方みたいなものの年齢がちょっと高い版みたいなのを作って、そこにコムニタスフォロという名前をつけた。それは希有な事例かと。そこに至ったのはすぐにというよりは何年か自分自身に問い続けたという経緯みたいなのはあるんでしょうか。

山下耕平

かつては、学校に行かない事は病理と思われていたんです。80年代にフリースクールみたいな取り組みが立ち上がってきて、おかしいのは自分たちではなくむしろ学校の方ではないかという問いのひっくり返しがあった。それを語る時に「学校に行かなくても、ちゃんと社会でやってゆけるから、学校に行かなくても良い」という語り口があった。しかし考えたら学校に合わないというのと同じように、社会は流動化しているし、そういう風な言い方をしていても、学校に行かなかったのと同じように苦しいという人達もたくさん増えてきた。社会でも若者問題をきちんと考えて行かないと不登校の問題の本質に取り組めないと思ったんです。

アサダワタル

フリースクールを何年も運営していると親の世代が変化してきますよね。そこが一つポイントなのかなと。フリースクールを始めた当時の親と今の親は世代が違って、フリースクールに来る子のあり方も変わってきてるのかなと思うんですけれども。

山下耕平

変わってますね。かつては不登校にしても、はじまりのころの引きこもり問題にしても、親世代は良い学校で良い会社というルートに乗っかってやってゆけた。そして自分の子どもがはっきりした理由は見当たらないのに引きこもってしまうという状況だった。しかし今は親も生きづらく、子どもの面倒を見る余裕がないみたいな状況になってしまった。かつては親が子育てしていたけど、そういうのが成り立ちにくくなっているというのはあるんです。

アサダワタル

色んな意味での生きづらさを共に考えるという意味でコムニタスフォロという取り組みがあると思うんですが、どういう方がこの場に集って、どういう活動をしているのかをお教えください。

山下耕平

20代もいるが上は40代もいます。コミュニタスフォロのメンバーで「生きづらさからの当事者研究会」(づら研)というのをやっています。橘さんの話にもあったんですけど、何の問題も無いと思われている子が生きづらくしている。今の若者の生きづらさというのは分かりにくいんです。不登校というのは長期欠席の中で理由が良く分からない人のことをそう名付けているわけなんですが、グレーゾーンの話がいっぱい出て来ているんですね。発達障害の問題にしても軽度の発達障害の話がクローズアップされてきた。家族も雇用も流動化している中で、自分がどこに属しているのか分からない苦しさを感じている人が増えていて、外から名付けられるだけではなくて自分の内側からもやもやした苦しさみたいなものをどういう風に言えるかを考えた時に、「生きづらい」という言葉が一番出てくるわけなんです。そうやってアウトプット出来る、シェア出来る場として、づら研をやってるといますね。最高齢70歳まで参加してくれていますよ。

アサダワタル

20代から最高齢は70歳まで、皆さんが自分の生きづらさを言葉にするところにまで至るわけですか。

山下耕平

それは人それぞれですね。づら研はコムニタスフォロの普段の活動とは分けてやっています。「ただ来て居るだけでもいい」っていう風な場所と、「言葉にしていこう」という活動と両方があるわけです。無理に引き出そうとか語らせようとは決してしない。語れる人が自分の言葉で語っていくっていう風にすることで、誰かが語っていると、それでなるほどと思って、自分の場合はこうだとかこう違うとか自然に言葉が生まれて行って、データベース的に蓄積されていくんですね。そういう風なことをやり始めてまる3年になって面白いなと思っています。

アサダワタル

活動を継続させていくうえでの制度との繋がりみたいなものも含めて、何かジレンマみたいなものもあったりするんですか。

山下耕平

すごく苦しいですね。僕らは文科省の枠組みに乗っかっていないので、お金が落ちない。半分ぐらい寄付。丸々制度に乗っかってしまうと当事者の側に立てないというジレンマを持ってしまうので。自分たちをはっきり「支援者」の立場として置いてしまうと、支援者の方は安定するけれども、被支援者の方は主体性がなくなってしまうと思うんですよ。引きこもりの問題でも「支援者にお金が落ちているだけで支援者支援にしかなっていない」という話がある。就労支援なんかにしても、雇用先が無くて失業率が高いにもかかわらず「支援者の食いぶちになってるだけじゃないか、そこに行政のお金が落ちているだけじゃないか」という批判をしている人がいてそれは当たっている面がある。ただそこをまじめに考えてやろうと思うと自分たちが苦しくなってきてしまうという面もあるんですね。

アサダワタル

なるほど、ありがとうございます。次は川浪さんです。

プレゼンテーション(3) 支縁のまちネットワーク

アサダワタル

私は10年程前に大阪城の公園の仮設シェルターで相談支援みたいな職種で社会福祉法人の嘱託職員を勤めさせてもらっていました。今は何をしてるのかわからないような活動をしています。宗教者の方と宗派を超えた情報交換をやっていたり。

川浪剛

私は10年程前に大阪城の公園の仮設シェルターで相談支援みたいな職種で社会福祉法人の嘱託職員を勤めさせてもらっていました。今は何をしてるのかわからないような活動をしています。宗教者の方と宗派を超えた情報交換をやっていたり。

アサダワタル

すごく簡単な質問をしますけど、お坊さんなんですよね。

川浪剛

僧侶なんですけども、住職候補でもないし、だから他の仕事もやっていられる立場です。ホームレスの方々というのはギャンブル依存やアルコール依存が激しくて借金を抱えている方もいらっしゃるので、就労はかなり困難。できても100人のうち5人ぐらいなんです。そもそも高齢だったり、病気だったり、けがをして働けないとか、そもそもが中卒だったり学歴が低かったりするので。もう少し若手の方なんかがなんとか再就職出来るだけといった状況です。よくおじさん達に、「兄ちゃん掃除と警備以外の仕事は無いんか?」と聞かれる。なかなか就労に結びつけなくて、それで西成区は生活保護の多い街だと言われるようになったわけですね。僕たちのやる仕事は生活保護でアパートとかマンションに入った人達のアフターケアをやらないと、再野宿というケースが多いんです。福祉の支援を受けたのちにまた外に出てしまう。住宅があればいいわけではないんですよ。見守りの重要性が高まってきたわけなんです。

アサダワタル

実際、家を探し当てる所以降の支援に携わるということは、その方の年齢もあると思いますが、施設が終の住処になる可能性もあるわけですよね。

川浪剛

50代の方もご自宅を訪問すると、異臭がして、大家さんに連絡して、入ってみると、お風呂場やトイレで亡くなっておられる方もいる。そう言った方々にお葬式が必要だということが分かって来た。大阪だと故郷を出てから家族との関係を断ち切ってきている場合がある。身寄りが無いということはお葬式をするにあたってハードルが高い。釜ヶ崎の人達は家族や故郷に迷惑がかからないように、匿名を持っておられるので、その人が病院に救急搬送されてもその方の本名を知らないとホームヘルパーさんが入っているというところの情報を通じて病院をお見舞いするということになる。非常にハードルが高いんですよ。

アサダワタル

そういう方々を弔うということでお葬式というのは、どんな人が集って来たりするわけですか?

川浪剛

釜ヶ崎の中でサークルというか、音楽をやっている人たちなどと繋がっておれば、最終的にその人達に友人や知人という事でお焼香に来ていただけますね。

アサダワタル

実は「むすび」という釜ヶ崎で生活保護を受けてながら活動している紙芝居のチームに僕が関わってたのがまさに10年程前、彼らの映像を撮ったりしていたんですが、当時から平均年齢が70代で、一人二人とお亡くなりになっていってます。つい先々週ほども一人亡くなられた。葬式に行かせていただくと、親族は居なくても、その人の縁みたいなものがそのとき分かる。リーダーの方のお葬式の時も、取り巻く人達を見ると、その人を取り巻いてる支援の形がはっきりと見えるんです。その時「一体、家族、親族ってなんだろう?」と思ってしまうんですね。グレーなものが色々そこに集っている感じがあります。

川浪剛

東京では直葬という形でお棺を火葬場で焼くだけで、僧侶や親族を呼ばずにあっさりとすませてしまうという事になっている時代なんですが、大阪では釜ヶ崎にある三角公園でお葬式をやったりするんです。労働組合の方がギターを弾いたり、神父さんが一年に亡くなった方の名前を読み上げて、私や他の僧侶がお経を上げたりして、全体でお盆の法要もやっています。そこに集ってくる人達というのは親族でもなければ会社の同僚でもなく、一つ一つの繋がりを繋げて皆が集ってくる。大阪では生活保護をもらっていれば葬祭扶助という仕組みがあって葬儀屋さんを呼べる。お葬式が出来るんだという事は皆さんご存じなかったので、無縁仏になると言われていた。年齢が50代で看取りがないんです。生きて行くという事において未来が見えないわけですから、アルコールにどっぷりつかって早く死にたいと思っている。自殺の手段として身体を痛めていくというようなことをね。自分が今から健康になって仕事をした所で誰が自分のことを気にかけてくれるのか?という気持ちが強いという事なんです。

アサダワタル

フードバンクの活動もされていると思いますが、生活保護をもらい自分が住む所が出来たその後のアフターケアの一環としてやられるということですか?

川浪剛

無縁社会という事で、生活保護をもらっていないし、西成区にも住んでいないけれども、このままじゃ、無縁仏になるからどうにかしてよという方もおられるんですね。地域の中で孤独になってしまって、妹からも愛想着かされている。「ニアホームレス」という方がどんどん増えている。大阪市内でも無縁仏が年2,000人出る。その中で釜ヶ崎が占める割合は4,500人ぐらいで残りの1,500人はどうなったのという話なんです。1990年代は葬儀社の方と連携したお寺に勤めていた。その中には新聞配達員として販売所に住み込んでいて、その方が若くでお亡くなりになったケースがある。その方の田舎のおじさんに連絡したものの、甥っ子とは長い間繋がりがないので、勝手にやってくれと言われて、その所長さんの夫妻さんが喪主となってお葬式をやったというパターンがあるんですね。こういう方が無縁仏の阿倍野に葬られるんだなという事が分かっているわけなんです。西成区とかホームレスというだけじゃなくて、みんなが、社会が無縁仏になっているという状況があるんですよ。それをなんとかしたいなと。お坊さんとしてお経をあげに行くというだけじゃなくて何か手みやげを持って行くのはどうだろうということでフードバンクを始めました。3年前、4年前からフードバンクでは、困窮世帯に持って行こうじゃないかという動きが始まっていたので、僕らもこれをやろうよと。生活保護申請した時に2週間ぐらい猶予がある。その間に食べ物が無いという人に対してはその間身銭を切ってなんとかするということはありましたし、生活保護を使い切ってしまって暮らせないんだという人達にフードを配っていたんです。それが身銭を切らなくてもよくなったということなんです。

アサダワタル

見えやすいところから見えにくい所に向かって支援を細分化させて広げてるという印象を受けました。どこにニーズがあるかということを発見して行く事の難易度はどんどんあがっていくんじゃないですか。

川浪剛

大阪城のシェルターに居た時もそうだったんですが、西成に帰りたいという人が約半分。西成に帰りたくない人達が、どんどん違う地域のアパートやマンションに住んでいるので、モザイク上に広がっているということと、刑務所が最後の福祉の砦だという事で、1000円未満の無賃乗車と無銭飲食を重ねて「刑務所にいた方がいいや」って思っている人がいて、刑務所と往復している人もいて、地域定着支援センターというものがある。本当に多様に困窮している人達、生活困窮者が増えてるっていうことです。今までは目に見える所にいたけれども、「隠れた生活困窮」ということもあると。実は家の中に居るんだけどそこに問題があるという事が私の活動の中から気づかされたという事です。

トークセッション 生きづらさという地平から見える共通点

アサダワタル

後半のトークセッションです。まずそれぞれの活動を聞いてみてどうでしたか。

橘ジュン

お二方のされている話を聞いて共感しました。私たちは生き辛さを抱えた女性の支援ですけれども、男性や年齢を超えて色んな方々も生き辛さを抱えてるんだなと思いました。

永見昌子

私たちは若年女性に特定して取り組んでいますけれども、生き辛さって全部繋がってるなと感じました。山下さんのお話の中に軽度の発達障害のお話が出てきましたけれども、私たちが活動していく中でも軽度の発達障害、知的障害がある子が路上にいる子の中にいるんですね。グレーの人達への関わりという点では同じだなと思いました。また川浪さんとのお話とも共通する所があって、制度とか条例か厳しくなって路上の子達がいられなくなってしまっていて、問題はどんどん見えないところに行ってしまているのだなぁという事を感じました。

山下耕平

共通する所はあると思います。私たちは不登校を扱っている。今学校に行ってもどうなるかわからないという風に不安定化している。野宿者ネットワークの生田武志さんの言葉では「全国が釜ヶ崎化」しているという話もある。また姜尚中さんは「日本人が在日化している」と。それは日本人であれば保障されている、在日の人が差別されているという図式が崩れてきているという意味なんですね。日本社会は元々企業福祉、家族福祉に頼ってきた中でそれらが流動化している。学校も流動化している。子どもや若い人からはじかれて行っているけれども年齢を超えてはじかれている人が彷徨っているような状況。NPOが手弁当で何とか繋がりを作って行こうと思っても押し流される力の方が圧倒的に強い状況。かつてのモデルに戻す事ができるというのではなくて、こうなってしまっている状況の中で、どういう工夫ができるのか、とかどういう制度設計ができるのかということの方が重要だと思っています。

川浪剛

巡回相談員という仕事をしていて、テント張っている所にお邪魔するという事をしていたんでBONDプロジェクトの二人とは現場に出て行く中で見えてくる所があるという点で共通点がある。山下さんの話との共通点では、ホームレス支援業界だけが潤って、就労支援でも実際に支援している方の仕事が作れないというジレンマがある。先日、セックスワーカーの支援をされているブブさんというアーティストの方とお話をしました。ホームレスやセックスワーカーやニートや不登校があってはならない、という風に頭からそれを否定するのではなく、そういう方達がやっていることの中から、選択肢が見えるような寄り添いの仕方を考えて支援をしていかなければならないと思っています。

トークセッション わかりづらい“支援”者の存在について

アサダワタル

川浪さんの話では、正すべきであるという支援のあり方ではなく、その状況が「ある」という事実をどう受け止めてどうしていくのかという支援の話があった。そのあたりの話から始めたいと思います。難しい話ですが支援をしている側と支援をされる側が対等な立場に立ちながら、それが結果支援になっているみたいな所が皆さんどこか共通してあったと思いますが、その点についてはどう考えますか。橘さんなんかはフリーペーパーを作り始めた時と今では意識に変化みたいなものはありますか。

橘ジュン

私は支援者っていう言葉も知らなかったんです。フリーペーパーの取材で出会って、今困っている子がちょっとずつ楽になるように繋げていくという感じの事をやっている。今困っている事から抜け出すために、行政の窓口の手続きが必要だが、前の住所は言えない。曖昧な記憶とぶつ切りの人間関係の中で彷徨ってる子がたくさんいるんですね。希薄な人間関係の中で生きている子は行政の書類で埋められない欄が多すぎて手続きができない。自分が同席すると行政の人に警戒されるし。親族じゃないからという理由で、なかなか行政や病院で同席できない。怪しまれて説明する時は「応援団です!と言っていたんですが 笑。そういうと窓口の人が困った顔をする。信頼される私たちでいなきゃいけないという事で、色んな方に相談した上でNPOにすることにしたんですよ。

アサダワタル

誰かが繋げて行かないといけない一方で、その支援する側も「見えやすい(わかりやすい)支援者じゃないと疑われる」そういった可能性があるという問題があるということですね。広い意味での当事者性を持った上での支援に関して皆さん何かあれば。

山下耕平

不登校の子ども達の名言なんですけど「支援臭」のする人は嫌やっていう。いかにも支援してやるって言い方をしている人は支援していらんっていう。

橘ジュン

支援っていう言葉しか適当な言葉がないんですよね。

山下耕平

わかります。そこにジレンマを感じながら支援をしている人はいいんだけど、そういうことに疑いも葛藤も何も無い人は支援臭がしてくる。

川浪剛

そういう人もいていいし、私たちも支援者の先輩達からアドバイスもらっているので、やれることをやればいい。でも街にいる子は、困ってる事があれば手伝うよ、といって施設の話なんかを伝えると、散々今まで束縛されたり管理されたところで生きてきたので、「そういうのは私はいいから」って言って断られるんです。その時は「分かった」って言ってただ聞く立場に切り替えるんだけど、どっちの立場で聞いていいのか悩み続けて今がある。相手に合わせるってことがまずあるんです。

橘ジュン

「支援のまちネットワーク」の援を「縁」という文字をわざと使っている。支援と非支援という一方的なやりとりが嫌だからかもしれません。死にゆく人達の言葉から色んな事を教えてもらっているんですが、もはや支える援助というより、ご縁を支えて行くという感じに近いのかと。

アサダワタル

僕もこのセッションを拵えた立場として、いわゆる支援がダメだとはまったく思っていません。支援というのをやってこられている団体さんは様々に意義があり、その中に皆さんがされているような活動もある。問題は支援にも見えにくい支援が、名付けようのない支援があるということなんですね。例えば、皆さんの活動に対して「何をやってますか?」と聞かれると結構困るんじゃないかと思う。深く入って行けば行く程、支援という言葉で括りきれないことにみんな立ち入ってしまうのではないか。その分からなさをできる限り分かりやすく表現している方々が本日ご登壇されている皆さん方なのではないと思っているんですが。

橘ジュン

そういえばウチの永見がさっきね、「福祉って何ですか?」と聞いてきた。

アサダワタル

橘さんに出て頂いた糸賀一雄生誕100周年記念の一環でやっている「Glow」というラジオ番組で、橘さんは「私たちがやってる事って福祉なんですね」と言われた。自分たちの活動だけじゃなくいわゆる「支援」をされている方と連携していかなければならない。いわゆる支援と、自分たちがやっている広い意味での支援との間でいかにバランスを取っていっているかをまさに聞きたいですね。例えば川浪さんのフードバンクの活動なんかはどのような感じですか。

川浪剛

大阪市の某都市の生活支援課の方達と連携しています。生活保護貰いながらも使い続けてしまったりとか、貯金が当面あって生活保護を取れない人のために社会福祉協議会を間に置いて、フードバンクの活動をやっていたりしているんです。

橘ジュン

それは大事。困っているって分かってもすぐに繋げられるわけではない。かといってそこで放り出すと同じような被害を受けたり、大変な犯罪に巻き込まれたりする可能性がある。縁をもって出会った子達に対しては関われる限り、連絡取れる限りできることはあると思っていますね。

アサダワタル

なるほど。橘さんの場合で言えば東京都の自殺対策の事業をされる中で、組織化したり事業化するとできることが広がったり、活動の信頼度が増すという事はあるでしょう。一方Bondプロジェクトでは何度も相談に乗ったりとか、敢えて言うと相談の成果にすぐに繋がって見えてこないことって沢山あると思いますが、その辺りはどうですか。

橘ジュン

だけどちゃんと成果を書かなきゃいけないんですよね。

永見昌子

まさにその作業を実際私もやっているわけなんですが、成果をただ見せてくれと言われても私たちは困るところはありますね。「どこか(必要な支援先)に繋げた」っていうのは成果として出せる。でもそれ以上に、「非行から立ち直った」とか「学校に行けるようになった」みたいな事を求められているような気がするんですね。でも、その子の人生はこれからだし、本当は「自分で決めていいって思えるようになった」とか、そういう意識の変化みたいな事が大事だと思っているんです。

アサダワタル

見えるようにする事自体に支援する側の意思が働いてしまうこともあるし、事業としてやっていかないといけないという部分もあるからそのジレンマは皆さんおありかと思います。

橘ジュン

色んな視点でうちの事を見てくれる、アドバイスしてくれる人を仲間に入れてやって行く事が必要ですね。

アサダワタル

山下さんにもお聞きしたいのですが、コミュニタスフォロの活動や、「づら研(生きづらさからの当事者研究会)」と制度との繋がりについては、大事にされていることとかあるんでしょうか?

山下耕平

例えば子ども達も若者もそうなんですけど、私たちがこの活動をやってて良かったなと思うのは、彼ら彼女らに表情が出て来た時。そういうことは言語化しにくいんです。評価と言われても困るところがある。一方で外形的に評価される所に乗っかった方が苦しい場合もある。私たちの活動はそういう価値尺度では無い所で人がちゃんと受けとめられたり、関係が繋がったりする事をやっているわけですから制度には乗りにくいんですね。心理学を批判している小沢牧子さんの話では、今の社会の息苦しさはすべてにアスファルト舗装をしているようなものだと。アスファルトにひび割れがあって、そこからからたんぽぽの花が咲いているとすれば、制度にひび割れあるって言ってさらにその埋め立てようとする、制度のひび割れを制度で埋め立てることによる結果、命を抑圧しているんじゃないかと。

あるいは、児童精神科医の渡辺位(たかし)さんという人の喩えでは「腐ったものを食べて下痢をするというのは、健康である事だ」と。それを無理矢理に薬を飲んで止める、症状を取りあえず抑える対処療法みたい事が支援とされているが、それが本当に支援と言えるのか。むしろその子の立場に立って物事を考えてみたらどうかというのが渡辺さんのおっしゃってたことなんです。不登校やリストカットを辞めさせることではなく、そうせざるを得ないその子の立場に立つという事が支援と名指されるかどうかが問題。非常に制度に乗りにくいところなんですけどね。

橘ジュン

子どもの時に子どもらしくできなかった子が、いきなり甘えていいんだよって言われても分からないんですよね。やっと甘えられるのが二十歳を超えてからというのもある。ほどよい距離感で継続して会えるというのも大事だと思います。

トークセッション 会場からの意見も交えて

支援学校で働いている方からの質疑:

支援学校で働いています。支援学校で卒業までにどんな子どもにしたらいいのか。卒業してからの子ども達のイメージがしにくい。日本では、支援学校にいる間においては、知的障害や発達障害の子達に支援が手厚いんですね。その手厚い間に何が出来るのか。その支援から卒業した後の人生にどうやって繋げて行けるのか、ご意見をいただければ嬉しいです。
山下耕平

難しい質問です。さっきも軽度発達障害は隠れているみたいな話がありましたね。発達障害は治るものではない中で、その人の持つ「性分(しょうぶん)」として考え直していくことが必要ではないかと思います。性分と合わせた環境や関係をどう作っていくかという事を考えるしかない。性分をマイナスと見てそれを直そうとするんじゃなく、その子の性分を大事にしながらいかに周りの環境を作っていくか。これは教育という問題を超えているところがありますね。そこから先の工夫は苦労はがあると思いますが、まず性分を否定せず見つけて行こうという事で、ネットワークなりを作っていくしかないんじゃないかと思います。

川浪剛

自分は不登校経験者なんですけど、昔は「学校に行けない子」みたいな言葉がなかった。今は「不登校」って言葉があるからある意味過去の自分を説明するのも簡単になりました。でも言葉が付く一方で「ニート」とか「ホームレス」という人があるんじゃなくて、ひとりひとり当然違う個性なわけです。それを一つの言葉で抑えている。まあ仕方なく「ホームレス」という言葉を使うけど、ホームレスの方の中に自分が不登校になった時に、精神病等に入れられたという思い出がトラウマになっていてそれを泣きわめいて告白された方もいました。仙台での就労支援のある事例を紹介します。全く福祉分野じゃないレストランがあるんですが、お昼に凄く沢山のオーダーが通るとパニックになるけれども、作り置き、ビュッフェ方式だったらパニック障害の方でも料理を提供出来る。障がい者の方達でも働ける場所を、まさに彼ら彼女らの特性を生かした環境から作り出していく。そういったやり方もあると思いますね。

橘ジュン

犯罪とか被害を出しちゃう子については、悲しんでいる他者がいるという事をちゃんと伝える事が大事だと思いますが、その障害のある当事者の方に対してその方自体が良いとか悪いとか正しいとか間違ってるとかは、(支援者が)言えることではないと思います。答えになっていないけれども今のままで良いと思います。

永見昌子

支援者ができることは限られているけど、繋がりを作って行く事は大事だと思います。支援機関どうしや、学校と外のチームを繋げるなど、それをぜひやっていただきたいと思います。

東京の大学生の方からの質疑:

支援には大きく二種類があると思っておりまして。個人個人の生き辛さと向き合っていくというやり方と、その根本原因となっている社会の構造を変えて行くっていうやり方があって、皆さんはどちらかというと前者の方ですが、生き辛さに向き合いながら根本的な原因を無くすという後者の方にもどうやって取り組んで行こうと考えておられるか教えて頂きたいです。
橘ジュン

自殺言動がある子の中には過去に性暴力を受けた子が多い。いまそういう調査をしていますね。彼女達が生き辛くなった事には社会的な理由があったということを伝えたいですし、あの子達の声がさらに何か社会を変えて行く仕組みを私たちは身につけていかなければいけないと思っています。

永見昌子

現場魂があるので、そういうのは結構苦手だったりするのですが、風俗店で働いても性被害にあっている人もいる中で、ちゃんと働いているのに労働組合が無かったり、彼女達を誰も守ってくれない社会状況があるわけですね。セックスワーカーに対しては否定しないけど、セックスワーカーを取り巻く現状に対しては制度の面も含めて変えていきたいと思います。

アサダワタル

現場で色んな化学反応が起きる事で、色んな意味での当事者の方の声が大きな社会の構造を変えて行くことにも繋がって行くかもしれないし、そういった声と社会を繋いで行くための術を支援者も身につけないといけないということですよね。

橘ジュン

そう思います。

永見昌子

色んな人がやっていけばいいと思っています。

山下耕平

スピヴァクという人の『サバルタンは語ることができるか』という本があります。サバルタンはインドのアウトカーストの女性の事なんですが自分の直面している状況がひどくてもそれが当たり前だと思っていて、自分の状況がおかしいと思えていないということがある。そういう人は語る言葉をもたない。そういう人がおかしいと気づくという事が大事なんですね。例えば雇用のしんどさというのは、ブラック企業と言われるみたいに、正社員のパイが小さくなってるから、過労死するまで頑張って働かなきゃいけない。非正規社員は不安定だからそれはそれでしんどい。すごくバリバリ働くか、働けなくなって鬱になって精神障がい者手帳をもらうか、かつての福祉の対象になるまでボロボロになるまで働くかしかない。半人前にしか働かなくても生きて行ける、雇用情勢がこういう状況なのでそういう仕組みにしてほしいと思います。

また、先ほども挙げた渡辺位さんが不登校の問題は子どもの病理ではなく社会病理の問題であることに気づかれた。渡辺さんはもともと精神の傷を負った傷痍軍人の方が入院される精神病院で務められていて、彼らの持つ症状と不登校の子ども達が出している症状が似ているのではないかと。もしそうだとすれば、学校が戦場になっているんじゃないかということを指摘しているわけです。社会に巻き込まれるのを拒否するのは難しいけど、巻き込まれながら半身をずらして、つながりをつくっていくのが大事なのではないかと思いますね。

川浪剛

「絆絆」と言われるガチガチの社会が多い中で、組織に所属することありきじゃなくて、どこかのコミュニティでダメだったらどこかのコミュニティに属せばいいやというぐらいの考え方が大事。保護司さんや民生委員さんから生活に困っている人の個人情報を聞くのは守秘義務違反になるので、そういった世帯にすぐにフードバンクは使えないけど、情報を提供して向こうから頼って来てもらう分には問題無いと思いますからそういった機会づくりも大事かと思います。例えばレディースクリニックにフードバンクのパンフを置かせてもらうことで、生活に困っているセックスワーカーの方がそれを見る可能性だってあるわけです。これも我々がその人達の個人情報を集めないで、配る事ができるわけですよね。フードは、ツールとして関係性を作って行くものとして使う。ゆるい繋がりの中で、誰か問題を解決してくれる人が現れる。フードっていうツールを使って、大きなネットワークを作っていく。そこに「助けて」っていう声も次第にあがってくるんじゃないかなと思うんです。こういったカタチで困っている人の拠り所にある情報を蔓延させていくことが大事だと思っています。

アサダワタル

見えない生きづらさが存在する所に対して、キャッチをしに行くときに、色んな方法があり、色んな連携の仕方があり、連携する先は自分たちも思いつかないようなところに実はニーズがあったりする。いまのレディースクリニックの例もまさにそうなのかもしれませんね。なのでそういうところに向かっていって活動して行くと、目の前の支援が社会を大きく変えていくことに繋がったり、また一つの支援が様々な支援と連携することで、一つの支援としての名前では括りえない状況に結果的になあっていくのかなと思いました。川浪さんにはいま今後の展望もあわせてお聞きしたカタチになりましたが、最後に他の皆さんから意見をいただいて締めようと思いますが、まずは山下さん。

山下耕平

いろいろ話しましたが一番重要なのは「ゆるさ」だと思います。あんまり「支援しましょう!」っていう「解決ありき」の考え方を持つ人より、取りあえず聞いたり一緒にいたりできる人がまだまだ少ない。「生けるゆるキャラ」を大事にしようと思います。

永見昌子

相談しにくる女の子達も、ちゃんとした相談窓口だと何か決めて帰らなきゃ行けないから、「だからそこには行けない」という事を言ってくれるんですね。「見えにくい生きづらさに気づくこと」っていう事。まだ声になってない声を聞きたいんです。それを聞けるのが楽しみでもあります。その子達が世の中の歪みを教えてくれる人と思って活動を続けていきたいと思います。

橘ジュン

伝え続けるという事と声が届きやすいような環境づくりという両方が大事ですね。うちは10代20代の女の子の声が聞きたいから、こういう感じで引き続きやって行きたいです。声を届ける子達が選びやすいような環境を作って行きたいと思います。

アサダワタル

皆さん、長時間に渡ってどうもありがとうございました。

Copyright © 2014 アメニティーフォーラム実行委員会 All Rights Reserved