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わたしにとっての“福祉”的な本 ~アサダワタルさんの場合~

  • アサダ ワタル日常編集家
わたしにとっての“福祉”的な本 ~アサダワタルさんの場合~

糸賀一雄さんの思想や活動から感じられる“福祉”の広がり。このコラムでは、本事業に関わる様々な立場の方々が、書籍の紹介を通じてこれからの福祉のあり方を語っていただきます。最終回となる第4回は、アートと福祉の関係について、様々な実践や執筆・編集をおこなってきた日常編集家のアサダワタルさんです。

ケアの倫理からはじめる正義論─支えあう平等
(著者:エヴァ・F・キテイ 編著・訳:岡野八代、牟田和恵)

  • 出版 白澤社(現代書館 発売)
  • 発行 2011年8月
  • 定価 1800円+税
  • ISBN978-4-7684-7940-7
  • 白澤社 ブログ
もし、ケアを担う者たちが存在しないと人間社会は存続しないにもかかわらず、ケアを担う者たちを排除するような「社会」が存在しているとするならば、そうした「社会」をこそ変革しなければならないはずだ。(P35)

糸賀一雄生誕100年事業に関わったこの半年、「福祉」という領域の中で最も関心を持ったのが、ケアをする立場の人がケアされる立場の人から与えられる力の存在についてだった。それは、ケアする側がケアの焦点となるケアされる側の特性、―例えば様々な障害、加齢による衰え、ひきこもり、薬物依存、ホームレスなど―だけを捉えず、その特性の裏返しとも言える特異な感性や佇まい、表現や価値観などに気づくことで、新たに得られる価値転換と言ってもよい。

10年前、当時スタッフをしていた芸術系NPOの活動の一環で、大阪市西成区あいりん地区、通称 釜ヶ崎に暮らすおじさんたちの紙芝居チームの運営に関わった。野宿から畳に上がった生活保護受給者のおじさんたちの生きがいづくりをきっかけに始まった紙芝居劇団「むすび」の活動。出会った当時は平均年齢76歳の8人グループで、紙芝居の前で歌やお面をつけての実演が入り、数々の小道具が飛び出す実に個性的な表現スタイルを築き上げていた。その作品のユニークさに感動した私たちは、おじさんたちから紙芝居継続支援の打診をうけたことを契機に、大阪府のコミュニティビジネス事業支援のための助成金を申請し、彼らの精神的なケアと表現活動のマネジメントの両方に携わるマネージャー派遣の仕組みを考えた。マネージャーをあらゆるコミュニティ同士の繋ぎ目にしつつ、地域の福祉支援者、まちづくりを勉強する学生、彼らの表現にアドバイスをする音楽家やダンサーを交えた分野越境型の新たなコミュニティを形成し、私はそのプロセスを映像作品にするという役割を担ったのだ。

依存者は、他者の助けを必要としているからこそ、人間の関係性を紡ぎ続けるという貢献をしているのです。(P56)

その時感じたのは、一見彼らをケアする側に立つ私たちが、彼らの表現やその人生経験から醸し出される佇まいによって、確実にエンパワメントされたということである。地域の福祉支援者たちが彼らの身の回りの世話をしてきたことは無論重要なことであると同時に、そこに福祉とは一見無縁そうな文化的な視点を持ち込むことによって、「ケアする側/される側」という図式に横たわる「/(ボーダー)」の角度が変わることがあると実感した。そして、いつしかこのプロジェクトのテーマは、むすびの魅力を軸とするコミュニティから生まれる「関係性そのもの」を社会包摂型の表現として広く提起していくこととなり、より社会的なプロジェクトとして展開することとなった。そのような経験を各地で積み重ね、文化と福祉、あるいはアートとケアの関係を考える中で出会った本が、この『ケアの倫理からはじめる正義論 支えあう平等』である。

本書は、フェミニスト倫理学の論者である哲学者 エヴァ・フェダー・キティ氏の著書『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』での論考を軸に、その監訳者によるキティ氏へのインタビューやエッセイを収録したものだ。また本書では、キティ氏の論考が机上の議論のみならず、重度の知的障害を持つ自身の娘 セーシャさんとの関わり合いから生み出されたことが印象的に語られている。まず、「依存」という概念の再構築に徹底的に向き合う著者たちの姿勢にとても感銘を受けたと同時に、ケアをする側に対するさらなる「ケア」の視点からは、これまでの私の実践を支えてくれるたくさんのヒントをいただいた。

冒頭にも触れたように、いま滋賀県では、糸賀一雄氏の生誕100年記念事業を展開している。「日本の障害者福祉の父」として戦後、湖国滋賀県から戦災孤児と障害のある子どもたちの共同生活の中に、共生社会、ならびに人がありのままに存在することの価値を見いだした糸賀氏。そして、その歴史は現在にまで脈々と受け継がれ、滋賀県の福祉施設において類い稀な才能を発揮する「作家」たちの活動が注目されるようになった。主に知的に障害がある方によって制作された絵画や陶芸作品が、いま全国で注目を集めている。そして、それらの作品の多くは、施設に暮らす(通う)作家の何気ない日々の作業や習慣、余暇活動から生まれていることが多く、また、その大半は家族や施設職員によってその価値を見出され、世に発信されてきた。ケアする側がケアされる側から圧倒的な感動を受け取り、自身の常識を揺さぶられ、さらなる他者にこの価値を伝えよう(正確には伝えずにはいられない)と試みること。そのことがいま全国の福祉関係者が主催する展覧会の開催や美術館の開設へと繋がっているのだ。

わたしたち各人は、他者の世話から利益を受けてきた一個のひとであり、成人へと成長するとき、丈夫に育つためには言うまでもなく、ただ生存するためにだけにも、そうした世話と気遣いに値する者として考えられてきた。もし、各人が世話に値するのであれば、世話をする人もまた、彼女が必要とするときには世話に値するだろう。また、わたしが別のひとの世話をしている間でさえ、わたしもまた、世話に値する。これは、一対一関係における公正と互恵関係とは異なる考え方であり、少なくとも第三者を巻き込んだ公正と互恵の考え方である。正確を期すならば、その考えは、わたしたちの過去を拾い上げ、未来の世代に投影されるような無限の関係性を視野に含んでいる。(P41 書籍内引用文としてのキティ氏のテクスト。下線は書籍内引用者による)

そう、この引用文と照らし合わせるのであれば、「第三者を巻き込んだ公正と互恵の考え方」とは、いまケアする側とケアされる側から生まれるその関係性自体をケアしながら(作品から、作家と施設職員や家族とのコミュニケーションの痕跡を見出し、その動向を見守るなど)、かつ関係性自体からケアされる(作品にエンパワメントされ、自分の生を捉え直し希望を得るなど)第三者の存在意義を表わしているように思える。そして、そのことは幸せなケアの循環を生み出し、それらは糸賀氏の実践と思想が現在にも繋がっているように、「未来の世代に投影されるような無限の関係性」にも引き継がれるであろう。

ぜひ、広い意味での「福祉」に関わる多くの方々に読んでいただきたい一冊だ。

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画像提供:白澤社