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大西暢夫『“現場”をつぶさに受け取ること ー福祉・コミュニティ・文化ー』(1/2)

  • 大西 暢夫写真家・映画監督・作家
大西暢夫『“現場”をつぶさに受け取ること ー福祉・コミュニティ・文化ー』(1/2)

大西さんは、精神科病棟で暮らす方々や、東北の被災地におけるコミュニティのあり方を取材・撮影されるなど、幅広いフィールドで活動される中、この番組の背景にもある滋賀県の障害者福祉施設などで、造形活動に取り組む作家たちの活動も記録し続けてこられました。今回は、大西さんが表現者として、どのように福祉や医療といった現場に関わり続けてきたかについてお話いただきました。

アサダワタル

まず自己紹介も含めて、大西さんが以前出版されている写真集の『ひとりひとりの人』のお話から伺えたらと思います。

大西暢夫

はい。全国に精神科病棟って本当に沢山あるんですけれども、そこに暮らしている人達、暮らさざるを得なくなった人達、長期入院をされている方々の撮影を、『精神科看護』という医療系の専門誌にてずっと連載しているんですね。もう14年続けているんですけれども、そこで患者さん達と関係を作りながら毎月毎月どこかの病院に撮影に行って、そしてそれが数年前にとりあえず一冊にまとめて本を出版したんです。

アサダワタル

そもそものお話なんですけれども、精神病棟で長期入院されている方々の写真を雑誌に掲載して発信するというふうな事は、どういう背景から「出すべきだ」という話になったんですか。

大西暢夫

僕が根本的に福祉系の仕事何もしていないし、資格もってないじゃないですか。『精神科看護』にも今までずっとグラビア記事はあったんですけど。

アサダワタル

元々グラビアコーナーがあるんですね。

大西暢夫

それを見せて頂いた時にほとんど患者さんはそこには写ってなかったわけなんです。看護士さんがいっぱい写っているわけです。

アサダワタル

グラビアというのは例えばその病院で生活されている様子みたいなものがそのまま撮られている状態なわけなんですよね。

大西暢夫

でも、患者さんの生活を捉えているならまだしも、看護士さん達の仕事っぷりが中心でして。

アサダワタル

ああ、そういうことなのか。

大西暢夫

専門誌だから読むのは看護士さんで「あの病院はこういうことをやっている」といったことをわかってもらうという。

アサダワタル

「こういうスタッフさんがいるよ。こういう事例があるよ」というような事に編集として重きが置かれているわけなんですよね。

大西暢夫

それを読んでいながら、特集のテーマが「地域へ」と書いてあるわけですよ。

アサダワタル

なるほど。

大西暢夫

そのギャップがなかなか埋められないわけです。僕ら地域で生活する人間とすれば。これだったら病院内で自給自足してる感じの雑誌だなと思って。地域に広がりようがないなあと思った中で、一体地域の人達は患者さんってどんな人なんだろう、見たい聞きたいという思いがあっても、そういうが一切隠れてるわけですね。これは世間が隠し続けて来たのか、病院が隠し続けてきたのか良く分からないなと思ったのが正直な所で、なんで患者さんを出したらダメなんだろうというのが同じ人間として感じたわけです。もちろん写真に出たくない人は当然ですが。

アサダワタル

確かに。それはご本人の意思の話ですからね。

大西暢夫

そういったレベルで議論しちゃだめなのかなというのが写真を撮る者の当たり前の根本的な所ですね。

アサダワタル

それはむしろ大西さんの方から、写真をスタッフさんだけではなく長期入院されている方々にカメラを向ける提案をする、あるいは議論をもっとしていくべきというお話は、これまで関係者にされたということなんですか。

大西暢夫

そうですね。それでアプローチしてみたところ「やってみたらいいじゃないか」という風にも言われました。だけれども最初の5年ぐらいはドクターからの圧力が大きかったですね。どちらかというと取材を受け入れる病院というのは前向きなわけですね。なんかしなきゃいけない、この50年入院している人達をなんとか退院させなきゃいけないという気持ちがあって。それで、取材を受けてくれますよね。だけどドクターとすれば患者をありのままに受け入れて撮影をするということを否定したい所は色々あるんでしょう。ですから看護士さんよりもドクターからの圧力の方が大きくて。だけれども今14年もやってると、看護士さんもみんな若くなって来て僕の方が上になってね。やっぱり14年もやっているとこの取材が来たっていうことはもう間違いなく患者さんが紙面に出てくるっていう状態に切り替わって来たのがやっぱり10年ぐらいしてからなんです。

アサダワタル

実際生活されている方々に最初からカメラを向けるというよりは、少しずつ通われてちょっとずつ会話が生まれたりしながら記録をされていったのかなという風に思ったんですけど。病院にいきなり写真家という謎の存在と言うか、スタッフでもない方が現れて写真を撮られるわけですよね。どういうコミュニケーションがそこにあるのかなと。

大西暢夫

確かに長期入院している人にとっては、友人が面会に来る事ってほとんどありえないんですね。家族も付き合ってくださる家族がいればいいですけど、息子が長期入院していたらもう親はおじいさんおばあさんになって動けなくなってくるんですよ。だから面会はほとんど無いに等しい中で、普通の人ではなくてしかもカメラを持った物凄い異質で存在が病院に入って来ると。病棟に入る時っていうのは僕いつも漫才師のような感覚だと思ってるんですね。要するに舞台袖で物凄い緊張する中で、舞台から出た瞬間に「どうもー!」って。

アサダワタル

「どうもー」ってパチパチパチってカメラが後ろから出ていくシーンありますよね。

大西暢夫

パチパチパチってあれぐらいギャップがあって50床の病棟だと50人いるわけですね。ほとんどそこに僕が入って行くという事はかなり自分を変えて行かなければいけない。

アサダワタル

自らを鼓舞して。

大西暢夫

入った瞬間にやっぱり50人の人が僕を見ますから、その圧力に耐えなきゃいけないということは漫才師にならなきゃいけないというかですね、「どうもー」って言って病棟に入って行くしかない。そういう世界から入っていく。で、向こうも非常に興味があるっていうか遠回しに見ながら何となく近づいてくる。でも僕は病気に対して詳しいわけではないので何故病気になったかとかそういう経緯はあんまり必要ないんですね。だけれども人間というものに興味があるものですから、楽しいですから、その人がどんな生き方をしてきたとか、やっぱりどういうところで暮らしてきたかとか、背景が知りたい訳です。おかげさまで僕カメラマンなので日本全国行ったこと無い所ほとんど無い訳で、どこどこの地区に行っても、大体どこどこの地区というのが何となくわかるわけですね。そうなってくると自分たちの地域の事を知っている人がいるとか、東京も大阪も行ったりする人間が近くにいるとか、何かそういう話になってくると自分の故郷の話が凄く聞きたくなる方が出てくるんですよ。

アサダワタル

相手の共通のエピソードみたいなものを、大西さんが持ってらっしゃるので、そこから徐々にご自分のエピソードを語られたりとか、故郷の話をされたりとかって流れですね。

大西暢夫

わずかな接点ですけれども、そこから色んな人の事を考えながらつなげていくというか、ハードディスクが物凄い勢いで動くような感じなんですけれども。それでその方の人生を伺っていると、ある時点で仕事のことであったりとか。そしてある時に病気になっていくって話になるわけですよね。そこから社会と遮断されてしまう時期が来ちゃうんですけど、「その(病院の)中では生きている」ということを、僕たちは完全に忘れている世界だって思った。その人達の存在をね。

アサダワタル

大西さん自身がそういう出会いの中で、どんな影響を受けて行ってるのかもお聞きしたいんですけど、実際写真集の連載を務めてゆく中で、大西さんの中で感覚の変化とか社会の見え方の変化みたいなものって生まれたりしましたか。

大西暢夫

そうですね。あくまでも僕は専門家じゃないという事だけはずっと思っているので、その中で専門家、OT(作業療法士)、PSW(精神保健福祉士)でありといういわゆる一般では良く分からない職業の人達と関わるわけじゃないですか。その中で医療的に見て行く事がね、もちろん病院ですから大半なんですけど、僕の場合にはいわゆる50年とか長期で入院している人達にその人達の行為であったりとか、そういうことを見るのに医療的に見るっていうのはどうなのかなと思ってしまう。50年(こういう生活を)やり続けたら患者さんの方が「勝ち」じゃないかって思ったりしてしまう。

アサダワタル

50年やり続けるとなると、もうそれを病として見るというよりはある種それをひっくるめたその人そのもの存在のありようという風にということですか。

大西暢夫

ある一線を超えると病のジャンルに入るのかもしれないですけども、それが広い許容範囲の中で僕たちが見て行けば、かなり受け入れられる所はあるんだろうと思うんです。どっかで超える所を薬で抑えなければいけないとか、そういう所っていうのは僕たちにも当てはまる所ってあるんじゃないかなって思ったら大分気が楽になると思うんですね。その中で患者さんのやっている行為が、「これは面白いことなのではないか」とこっちが思っても、病院側から「いやいや、これは病気ですから」と言われる、この壁が延々埋めきれないわけですよ。

アサダワタル

そのせめぎ合いがずっとありながら。そうですね、でもここ最近は医療側の許容範囲が広くなって、例えばアール・ブリュットと呼ばれるような作品、院内で孤独に制作された造形物をドクターや看護師さんがそれを面白いと思ってくれたり、収集してくれたり。そういう状況が増えていることもまた事実だと思います。次回も引き続きよろしくお願いいたします。

大西暢夫

よろしくお願いします。

※1 『ひとりひとりの人』

大西暢夫氏の写真集『ひとりひとりの人―僕が撮った精神科病棟』(精神看護出版)のこと。

大西暢夫写真家・映画監督・作家

1968年、岐阜県生まれ。写真家・映画監督の本橋成一氏に師事。1998年からフリーカメラマンとなる。25年間の東京での暮らしから、現在は生まれ育った岐阜県揖斐郡池田町に拠点を移す。2011年の東日本大震災の衝撃を忘れないために、東北へ支援物資を何度も運びながら取材を継続し、定期的に地元の岐阜県池田町で取材報告会を開いている。著書に『おばあちゃんは木になった』(ポプラ社)で、第8回日本絵本賞、『ぶたにく』(幻冬舎エデュケーション)で、第59回小学館児童出版文化賞、第58回産経児童出版文化賞大賞受賞。ドキュメンタリー映画『水になった村』で、第16回EARTH VISION地球環境映像祭最優秀賞受賞。

大西暢夫
パーソナリティ アサダワタル

1979年大阪生まれ。日常編集家。公私の狭間、異分野間を漂泊しながら、既存の価値観を再編集する表現を、音楽、文章、プロジェクトを通じて創作・提案。2002 年、バンド 越後屋のドラマーとして、くるり主宰レーベル「NMR」より2枚のCDをリリース。その後、音楽を主体に各地でソロライブ、プロジェクト、ワークショップを展開しつつ、2013年、ドラムを担当するSjQ++にて、アルスエレクトロニカ準グランプリ受賞。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、編著)『編集進化論 editするのは誰か』(フィルムアート社、共著)等。『ソトコト』や『マガジン航』等で連載。神戸女学院非常勤講師。

アサダワタル

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