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大西暢夫『“現場”をつぶさに受け取ること ー福祉・コミュニティ・文化ー』(2/2)

  • 大西 暢夫写真家・映画監督・作家
大西暢夫『“現場”をつぶさに受け取ること ー福祉・コミュニティ・文化ー』(2/2)

大西さんは、精神科病棟で暮らす方々や、東北の被災地におけるコミュニティのあり方を取材・撮影されるなど、幅広いフィールドで活動される中、この番組の背景にもある滋賀県の障害者福祉施設などで、造形活動に取り組む作家たちの活動も記録し続けてこられました。今回は、大西さんが表現者として、どのように福祉や医療といった現場に関わり続けてきたかについてお話いただきました。

患者自らが企画する院内写真展

アサダワタル

前回『精神科看護』という専門誌の連載から初めて作られた『ひとりひとりの人』という写真集についてお話しいただきました。精神病棟の中で長期入院をされている方々とどういう風にコミュニケーションをしてきたかというお話ですが、今実は収録の間に少し雑談をしていた時に、凄い事例の話を大西さんから伺ったのでその話もぜひして頂きたいんですけれども。大阪の浅香山病院で写真展を病院内でされていたんでしたよね、確か。その写真展というのはどういう企画の経緯があったのでしょうか。

大西暢夫

それこそグラビアの取材で最初に入った病院でした。撮影をしていったところ結局、いわゆる使わない(掲載されない)写真も膨大にあるわけですよね。「それを見せてほしい、それを何とか生かしたい」ということを病院側から言っていただいて。それで、見せていって、そしたら「写真展が出来るんじゃないか」という話になり、そういうところからだんだん広がっていったのがそもそものきっかけでした。それで僕もグラビア以外にプライベートでも撮影に行き、患者さんたちとも今は非常に仲が良いんですけれども、そういうプロセスで常に進化していく写真展というか。長期入院の人達がその写真展の運営委員を看護士さん達と一緒にやられることになっていったんですね。

アサダワタル

そこで入院されている方もスタッフという事で入る企画なんですね。展覧会場は病院そのものでやられるなんですか。

大西暢夫

病院のサロンがありまして、一般の人も入れる所なんですけれども、そこで開催しました。患者さんが自分の写っているところは特になんですけれども、まるでキャプションみたいな感じで観覧者に喋ってくれるわけです。

アサダワタル

音声ガイドツアーみたいなのを患者さんが自らされるということ。笑

大西暢夫

面白いんですね。廊下にじーっと一日中座っている患者さんが、何となく病棟抜けて写真展の会場に来てくれたら、写真と同じような格好でじっとその下に座ってるんですよ。

アサダワタル

まるでコピーのような。どっちがコピーやって話ですけど。笑

大西暢夫

実物が実際いる上に同じ写真があって。

アサダワタル

同じ構図みたいになってるわけですね。

大西暢夫

ほとんど同じですね。格好が同じなんで。入った瞬間にそれでお客さんドキッとするわけですよね。

アサダワタル

しますよね。「今さっきここで撮ったの!?」みたいな感じですもんね。

大西暢夫

それこそ(彼ら彼女らの存在が)アート化されているような会場ではあるんですけども、、そういうのが患者さんにとっても非常に日常には無い風というか、あり得ない風が吹いているわけですよね。患者さんが「写真展来て下さい!」とポストカードを(持って)町に営業に行く訳ですね。それも看護士さん達の企画で(病院を)変えて行こうっていう事なんです。それから患者さん達が変わって来ているし、「この人、こんなに力があったんや」というのを改めて看護士さん達が毎月一回打ち合わせをしている中で確認しあったりするんですけれども、そういう風にお互いに変わるというかね、写真展のそういった使い方で開催してくださった病院なわけです。最近では特に閉鎖病棟の中で撮影を、例えば午前中いっぱい撮影してそれを午後に今はデジタルカメラですからすぐに上映会ができるわけですね、ランダムに写真上映するわけです。それが本当に盛り上がる訳です。

アサダワタル

それはすごそうですよね。

大西暢夫

病棟だけが公開している写真展なんですけれども、非常にやってる方も面白い訳です。自分がさっきタバコを吸っていたシーンが出てくるであったりとか。自分の姿を鏡のように、みんなで指を指しながら笑いながら、「お前が写ってるやないか」と笑い合う。あの空間はもう病院ではなくなってくる訳ですね、僕の中でも。

アール・ブリュットを撮り続ける

アサダワタル

医療や福祉の現場で記録をされて行くきっかけであったりとか、大西さんにとってのモチベーションみたいなこともお聞かせ願えますか。

大西暢夫

そうですね。アール・ブリュットの元々の入り口というのもやっぱり『ひとりひとりの人』という写真集の中から声がかかってきたんですけれども、自分の撮影していたころにアール・ブリュットという領域が関わってきたんですが、言葉の意味合いも全然分からない訳ですよね。だけれども自分が興味を持って写真を撮っているわけですね、やっぱりそういうものを。「なんじゃこれは!?」というものを。

アサダワタル

言葉どうこうじゃなくて大西さんの視点の中にそれが入ってたわけですね。

大西暢夫

実際写真集の中に使われているんですけれども、それがアール・ブリュットというものと結びつくというのは、そのときは当然思ってもなかったわけなんですけれども。そういう時にやっぱり例えば50年日記帳を書き続けている人がいたりする。そういうものは社会生活に復帰するためのいわゆる金銭帳というか、いわゆる社会に出るために訓練するためにですね、「ちゃんと日記をつけておきましょう」、「金銭感覚を養いましょう」ということを50年もやっているわけですよ。

アサダワタル

色々凄いですね…、その話は。

大西暢夫

そういうのっては医療的に見ればそうなのかもしれないですけれども、僕はそれを見ていくとですね、「ああ50年前からポテトチップスがあるのか」とか、「当時90円だったけど今はこれ300円もするのか」ということに関心が行ったり、あるいは「この人は30年間延々とこれを食べ続けているのか」という事の面白さとかにとにかく興味が沸く。医療的なものの見方じゃなくて。亡くなっちゃったり退院されたりするとこれはゴミになりますよね。でも、これが医療的なものの見方じゃなくて、非常に面白い歴史として日記帳がアート化していくというか、何年か同じ事を延々蓄積すればそういう風なものになっていくだろうなと思ったんですね。他にもいろんな面白い例があります。夏目漱石の『三四郎』という本がありますよね。あの本がいつの間にかメモ帳になっているとかですね。

アサダワタル

三四郎の小説の上にそのまま書いているみたいな感じですか?

大西暢夫

書いてるんです。だんだんメモ帳になってこんなに分厚い三四郎になってるわけ。それをずっと持ち歩いていて、それがメモになっていて、「何月何日に何がありましたか?」って言ったらぱーっと三四郎を見て、「ああ、その日はご飯はああだったこうだった」ということを書いているわけです。それが一冊の文庫本としての存在が彼によって日記帳に変わってくる訳です。三四郎と混ざってね。あれもかなり衝撃的な日記帳だったんですけれども。

アサダワタル

その話はめちゃくちゃ衝撃的ですね。

大西暢夫

でも彼らにとってはそれはアートとも何とも思っていないわけですね。

アサダワタル

先ほどのある種の社会復帰、リハビリだったりとか、あるいは療法的な意味でこれをやらないといけないということでやり続けていることも、さすがに何年もやっていくとそのもの自体に表現が宿るというお話だったと思うんですね。だからそららを作ること自体は確かに目的ではなかったかもしれないけれども、でも結果的にそういう風にいわゆるその世間で造形物やアートと言われるものと何が違うんだと、「そうとも言えるじゃないか、こんだけ凄いもの作っているんだから!」という風になる。そしてその状況を発見する「目」というものを色んな方がちょっとずつ養ってゆきながら、いろんな表現を福祉や医療の現場で発見することはあると思うんです。元々大西さんご自身、やっぱり写真家であったりとか、映画を作られたりとか、文章を書かれたりとか、色々して表現してゆく、比較的そういうお仕事するといった意味で、「これが面白い!」みたいな見つけ方をしやすい立ち位置にいるのかなという気はするんですけども、大西さんご自身福祉医療色んな現場の先生方や施設の方と関わってらっしゃいますが、そういう方々とのコミュニケーションみたいなものも変化してきた感じはありますか?例えば患者さんが造る造形物を通じて医療関係の方とも話す内容が変化してきたと言いますか。

大西暢夫

いわゆるアプローチをする事が生まれましたよね。このアウトサイダーアート、アール・ブリュットという言葉が生まれてからは。アール・ブリュットということを説明しなければいけないですよね。

アサダワタル

そうですね、「何?アール・ブリュットって?」ってまず言われますからね。

大西暢夫

説明って言っても、そう簡単には説明出来ないですよね、僕たちも。その事に対してなんとか言葉を作って伝えようととしますし、医療や福祉の関係者の方々も理解しようとするんですけれども、まず病院の窓口って言うのは患者さんと一番接している看護士さんないしはOT(作業療法士)の人達が接点があって、とにかく関係が近いですね。特に作業療法士の人達は何か院外作業とかやっている造形物を造ったりするのに一番接点があるんですけど、ただそこをOTとしての作業療法として造形物を作っている面白さと、アール・ブリュットとしての造形物の面白さをどういうふうにこう混じり合わせるかというのは非常に難しくて、それを僕たちがどうやって説明するか。「このおばあさんは30年間塗り絵をやっていて、ものすごい上手なんです」ということをおっしゃるであったりとか、「編み物がとても上手なんです」とか、いわゆるOTらしい作品を作っている人を推薦してくるわけですね。だけどもアール・ブリュットとまたちょっと違う世界というかね。その双方の穴埋めできないというか。だけども僕も巧く説明出来ないもんですから。例えば、こういう日記帳の事とかと説明しても「日記帳ですか」と向こうも温度差があるわけですよね。向こうも間違ってないので。こっちも間違ってないですけど。何かこうお互い間違いじゃない同士が絡み合っていくその過程があって、そのやり取りの中でアール・ブリュットというのがだんだん組み立ってきたここ3年くらいだったのかなと思うと、今は明確な言葉は無いにしても、「面白いものありますよ」、「ああいうものをやり続けている人いますよ」っていう発見を、やっと看護士さん達が声を上げて行うようになったというのがね、その長い間の過程や蓄積の中で浸透し始めてきたころなのかなと、やっと最近そんな風に思っていますね。

アサダワタル

2回にわたって大西暢夫さんに改めて精神病等、福祉の現場、そういった所で写真家として関わって行くコミュニケーションとかそこの場で起きている出来事を体感できるようなお話をしていただけたと思います。また引き続き今後ともどうぞよろしくお願いします。という事で写真家大西暢夫さんでした。ありがとうございました。

大西暢夫

どうもありがとうございました。

大西暢夫写真家・映画監督・作家

1968年、岐阜県生まれ。写真家・映画監督の本橋成一氏に師事。1998年からフリーカメラマンとなる。25年間の東京での暮らしから、現在は生まれ育った岐阜県揖斐郡池田町に拠点を移す。2011年の東日本大震災の衝撃を忘れないために、東北へ支援物資を何度も運びながら取材を継続し、定期的に地元の岐阜県池田町で取材報告会を開いている。著書に『おばあちゃんは木になった』(ポプラ社)で、第8回日本絵本賞、『ぶたにく』(幻冬舎エデュケーション)で、第59回小学館児童出版文化賞、第58回産経児童出版文化賞大賞受賞。ドキュメンタリー映画『水になった村』で、第16回EARTH VISION地球環境映像祭最優秀賞受賞。

大西暢夫
パーソナリティ アサダワタル

1979年大阪生まれ。日常編集家。公私の狭間、異分野間を漂泊しながら、既存の価値観を再編集する表現を、音楽、文章、プロジェクトを通じて創作・提案。2002 年、バンド 越後屋のドラマーとして、くるり主宰レーベル「NMR」より2枚のCDをリリース。その後、音楽を主体に各地でソロライブ、プロジェクト、ワークショップを展開しつつ、2013年、ドラムを担当するSjQ++にて、アルスエレクトロニカ準グランプリ受賞。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、編著)『編集進化論 editするのは誰か』(フィルムアート社、共著)等。『ソトコト』や『マガジン航』等で連載。神戸女学院非常勤講師。

アサダワタル

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