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三浦了『私と糸賀一雄先生の出会い。生誕100年に向けて伝えたいこと』(2/2)

  • 三浦 了社会福祉法人大木会 顧問
三浦了『私と糸賀一雄先生の出会い。生誕100年に向けて伝えたいこと』(2/2)

糸賀先生と同時代を生き、糸賀先生をとてもよく知る大木会顧問 三浦 了さん。50年前に糸賀一雄氏と衝撃的な出会いを果たし、近江学園やあざみ寮にて、先駆的な福祉事業を実践してこられた三浦さんが、いま改めて、糸賀一雄氏生誕100年を迎えるにあたり、伝えたい思いを存分に語っていただきます。糸賀一雄氏の人間味溢れるエピソードや、障害のある子どもたちとのコミュニケ―ションについて、様々な話題が展開されます。

めまぐるしい現場の変化

アサダワタル

近江学園へ就職を決めて、様々な支援の現場に行かれたと思うんですけれども、まず最初に1年目、近江学園に就職されてから、どういう現場でお仕事されてきたのですか?

三浦了

前回にもお話しましたように、ただ糸賀先生のお話に感動して、近江学園へ勤めさせていただくことになりました。その年の3月31日に近江学園へやってきました。その当時は近江学園は担任制だったんです。全部では10いくつかのクラスがありましてね。「あなたには重度な子どもたちのクラスの『さくら組』の担任になってもらう」と。それこそ、本当に見よう見まねで「次はこうしたらええねや、次はこうしたらええねや」と、もう何もかも分からずに、時には子どもたちに「先生、こっち向いたらあかんやん、今はこっちでやらなあかんのや」って言って教えてもらったりして。

アサダワタル

ふふふ。

三浦了

しかし一生懸命、やらせてもらいました。それは日を重ねるうちに、何も分からなかったのに何か楽しうて楽しうてしょうがないんですよ。何が楽しいんやろうって。いやぁ、こういう子どもたちと一緒にごはんを食べたり、「さぁみんな便所やぞー」って言って何かしてる、そのことがもうとにかく楽しいんですね。そういうことが近江学園に勤めた当初の私の状況でございました。

アサダワタル

なるほど。近江学園で重度の障害がある子どもたちとお付き合いされたりとか、色々なクラスがあると仰ってましたけれども、クラスの担当とか、あるいは法人のなかで自分が担当する部署であるとか、その後どんどん変わられていったんでしょうか。

不断の研究

三浦了

いくつかクラスを替わりました。近江学園での最後は、びわこ学園ができる前身の「杉組」という重症心身障害児のクラスがありましてね。重症心身障害児のクラスですから、非常に厚いケアがなされておりました。そのなかでクラス担任を仰せつかったんやけど、これまたまぁ大きな勉強になりました。近江学園では前回申し上げました近江学園職員3条件の「不断の研究」というか、しょっちゅう勉強しようとなるわけです。例えば、杉組のなかに自閉症の子どもがおり、そう、自閉症という言葉も出始めた頃ですよ、それでちょっと何人かで自閉症の勉強をしようやないかということになりましてね。後にびわこ学園の園長になったお医者さんの岡崎先生が輪読会に覗きに来て、自閉症のことについて医者として自分が今まで勉強してきた話を聞かされてね。非常に勉強になりましたよ。また糸賀園長もその輪読会に時々顔を覗かすんですけど、これがねぇ、まぁ一人で自分の自閉症観みたいなものを話されてね、糸賀一雄の講演を聴いてるみたいな……。

アサダワタル

ははは。輪読会というよりは、糸賀一雄先生が単独でどんどん話していくみたいな。

三浦了

まぁそれはそれで勉強になりましたしね。非常によかったです。昔はよかったというのではなくて、本当に皆よう勉強しましたね。

こっぴどく怒られたあの日

アサダワタル

色んなお仕事をされたりとか、研究をされたりする中で、まさに糸賀一雄先生が三浦さんの上司になるわけですよね。そこでお聞きしたいんですが、子どもたちとのやり取りのなかで「それはいい仕事だね」とか、逆に糸賀先生に怒られたりとか、印象に残っているエピソードってありますか?

三浦了

これはいまだに忘れませんけどね、新しい「もみじ組」っていう年少のクラスができて、私がそこの担任になったんですね。色んなところでライオンズクラブというのがありますけど、大津ライオンズクラブの皆さんの合意のもとで、近江学園の子どもたちに三輪車を寄付しようやないかというので、10台三輪車を戴いたんです。

アサダワタル

すごいですね。

三浦了

年少の子どもですから、非常に小さい小さい三輪車なんですけれども、よう三輪車に乗って、漕いでも転げる子がいるんです。ダーンと転ける子が。そういう子どもも含めてとにかく大喜びでね。ところが年長の子どもやとか養護の子どもたちがいて、この子らも三輪車が珍しいので、三輪車に乗るんやなくて、後ろの2つの輪を支えてる横棒に片足を乗せて……。

アサダワタル

あぁ、もう体重をそこにかけると、いかにも壊れそうな話ですね(笑)。

三浦了

ははは、そうそう(笑)。それでハンドルを両手で持って、片一方の足で地面をパーンパーンと蹴って。アスファルトではなく普通のがた道ですから、それを大きい子どもがガタガタガタガタいわしながら。

アサダワタル

今でいうスケートボードみたいな使い方をしてしまっていたんですね。

三浦了

それで1台壊れ、2台壊れしてね。いやぁ、これは困ったなぁ、どうしよう……。壊れたのをそこへ置いておいても子どもも乗れませんから。そこで、捨てる場所がありましてね。誰がということなしに、壊れた三輪車をそこへ捨てに行ったんですよ。その捨てる場所がまた具合悪いことに、園長舎の前だったんです。

アサダワタル

もう糸賀先生から丸見え状態だったんですね(笑)。

三浦了

そうなんです。それで、さすがに糸賀先生も頭に来てね、「こないだもらったばっかりの三輪車を壊してからに」っていうので僕を呼びつけられてね、「君は人様からこうして戴いたことに対して感謝をすることを、本当に心の底から思ったのか?」「はい、感謝しました」「感謝したのなら、なんでこんな短期間の間にここまで壊れるの?」「いやぁ、実はその……、大きい子どもたちが、こういう風にして乗るもんですから、壊れてしまって…、本当に申し訳ないです」と。「言い訳をすな!」と叱られましたね。「君は物を大切にするということも大事やけれども、戴いた方の心を大切にする、それはひいては物を大切にする、そういうことを子どもたちに教えるのが、君の仕事と違うのか」。あぁ、よくわかることやな、と。けれども本当にこっぴどく叱られました。直接叱られるということもあまりなかったものですから、これは本当に骨身に堪えましたね。

いま、糸賀氏生誕100年を迎えるあたって

アサダワタル

生誕100年事業のラジオとしてはすごく貴重なエピソードというか、生の、実体験のエピソードを三浦さんから戴いたわけなんですが、いよいよ来年3月29日、そして30日、記念式典や県民コンサートなど含めて、本格的に糸賀一雄生誕100年記念事業がスタートしていきます。改めて最後に三浦さんから、この生誕100年に向けた一つの意気込みといいますか、想いをお伝えいただけたらと思いますが、いかがでしょうか。

三浦了

私も近江学園に奉職させていただいてから今日まで非常に長い年月になるわけですが、私が今回この100年事業のなかで、やっぱり糸賀一雄の思っていたこと、糸賀一雄が実践してきたこと、糸賀一雄がこうありたいと願っていたこと、そういう事ごとを、特に若い人たち、あるいは障害者福祉なんて難しいことはよく分からんけれども……という方も含めて、より多くの人たちに、この私たちの、糸賀も含めて、あるいは池田(太郎)田村(一二)も含めて、そういう先輩の先生たちの願いを、どういう風にしっかりと伝えていくかというのが、今回の100年事業の心の問題はそこにあるのではないかな、とつくづくと感じています。

アサダワタル

ありがとうございます。改めまして今回のゲスト、前回と引き続き三浦了さんにお越しいただきました。三浦さん、どうもありがとうございました。

三浦了

ありがとうございました。

※1 近江学園

滋賀県大津市の知的障害児、孤児のための収容施設。1946年に、糸賀一雄・池田太郎・田村一二により創立。

※2 びわこ学園

滋賀県野洲市の社会福祉法人。医療福祉センター草津・野洲、知的障害児者地域生活支援センター、びわこ学園障害者支援センター、長浜診療所の5つの施設を運営する。

※3 近江学園職員3条件

「四六時中勤務」「耐乏生活」「不断の研究」の3条件のこと。

※4 池田太郎

1908年福岡県生まれ。近江学園などを糸賀氏とともに創設。1952年信楽寮(現信楽学園)、1962年信楽青年寮を開設し、現在のグループホームにあたる民間下宿を全国で初めて発足させるなど、知的障害児・者の療育に力をそそぐ。1987年逝去、信楽町名誉町民となる。

※5 田村一二

1909年京都府生まれ。京都師範学校専攻科を卒業後、 京都市滋野小学校の特別学級に迎えられ、障害者教育に着手。近江学園などを糸賀氏とともに創設。旧愛東町(現・東近江市)に自給自足の理想郷 「大萩茗荷村」を建設した。

三浦了社会福祉法人大木会 顧問

1928年滋賀県彦根市生まれ。大谷大学文学部仏教学科卒業、中学校及び高等学校教員免許取得。1957年、研修生として近江学園に勤務後、翌年より大津市立南郷中学校兼近江学園児童指導員となる。約10年間、糸賀氏とともに近江学園、あざみ寮にて障害のある児童・成人への支援を実践する。その後、あざみ寮寮長、もみじ寮寮長兼務、社会福祉法人大木会理事長を歴任。現職は大木会顧問。

三浦了
パーソナリティ アサダワタル

1979年大阪生まれ。日常編集家。公私の狭間、異分野間を漂泊しながら、既存の価値観を再編集する表現を、音楽、文章、プロジェクトを通じて創作・提案。2002 年、バンド 越後屋のドラマーとして、くるり主宰レーベル「NMR」より2枚のCDをリリース。その後、音楽を主体に各地でソロライブ、プロジェクト、ワークショップを展開しつつ、2013年、ドラムを担当するSjQ++にて、アルスエレクトロニカ準グランプリ受賞。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社、編著)『編集進化論 editするのは誰か』(フィルムアート社、共著)等。『ソトコト』や『マガジン航』等で連載。神戸女学院非常勤講師。

アサダワタル

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